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「イプセン」 のこども時代

● 豊かさと貧しさを共に体験

主人公のノラが、最後に、妻や母であるまえに1人の人間として生きることを求めて家を出て行く『人形の家』。この3幕の社会劇で世界的に名を高めたイプセンは、ノルウェーの小さな港に生まれました。父は、裕福な貿易商人でした。
ところが、イプセンが8歳のとき、父は投機の失敗で家は破産、一家は、町の中心にあった大きな家を去って、郊外の小さな家に住むことになりました。すると、町の人たちの目はいっぺんに冷たくなり、父は、そんな町の人びとに腹をたてて、家にとじこもるようになってしまいました。
イプセンは、ラテン語学校へ行くことさえできず、小さな私塾のような学校へ通うのがやっとでした。友だちと遊ぶこともなく、家族ともほとんど口をきかず、いつも孤独でした。学校の成績も目立たず、絵だけが少しすぐれていました。そこで画家になることを考えましたが、家の貧しさがそれを許しません。いつも 「ぼくは、どうなるのだろう」 という不安を抱きながら、古材木を集めてきては建築家のまねをしながら小さな自分の部屋で遊びました。
15歳で町の薬屋へ徒弟奉公にでました。でも、このころから社会を風刺的に見るようになり、やがて劇作家の道へ進んで行きました。青年時代も水しか飲めないほどの苦しい生活を送り、このような少年時代からの苦しみが、北欧最大の劇作家への心を育てていったのです。

イプセン(1828〜1906)──苦しみの中から社会を批判する心を育てたノルウェーの劇作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづきイプセンを含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

投稿日:2006年11月29日(水) 10:01

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)