● 姉にいたずらして、土蔵にとじこめられる
「六つ七つになると思い出もはっきりしている。私は、たけという女中から本を読むことを教えられ、二人でさまざまな本を読み合った。たけは私の教育に夢中であった。私は病身だったので、寝ながらたくさんの本を読んだ。読む本がなくなれば、たけは村の日曜学校などから子どもの本をどしどし借りてきて私に読ませた。私は黙読することを覚えていたので、いくら本を読んでも疲れないのだ」
これは、太宰治の 「思い出」 のなかの一節です。家は大地主で父は貴族院議員の津島家の六男として生まれた修治(本名) は、母が病弱だったために、幼児期は叔母と女中の手で育てられました。そして小さいころは、夏の夜など蚊帳の中で、叔母に添い寝をしてもらいながら、むかし話を聞かせてもらいました。とくにおもしろかったのは 「舌切雀」 と 「金太郎」 でした。
しかし、 このように読書やお話が好きでも、修治はけっしておとなしい子どもではなく、姉をものほし竿で追いかけたり、姉の髪をはさみで切ったりしては、よく土蔵へとじこめられました。六男の修治は、生まれたときから‘よけいもの’という宿命を負わされ、いつもみんなからのけものにされているようで、さみしかったのです。学校の通信簿はいつも10点満点でしたが、操行(品行のこと) だけは7点だったり6点だったりで、家じゅうのものに笑われました。
父が死んだ14歳の年に、青森中学校へ入学しました。そして中学3年生のころには、作家になることをはっきり心に決めていました。
太宰治(1909〜1948)──自己の罪を自覚し人間のやさしさに救いを求めて「走れメロス」「人間失格」などを残した、大正・昭和期の作家。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき太宰治を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。