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「芥川龍之介」 のこども時代

● おとなが読む文学書をかたっぱしから読み続ける

龍之介が小学校3年生のときのことです。このとき、中国大陸で北清事変が起こっていましたが、龍之介はときどき、両国広小路の絵草子屋へ戦争の絵を買いに行きました。ところが、その戦争の絵の中で死んでいるのが中国人 (義和団) ばかりだということに気づいた龍之介は、こんなはずはない、日本兵も1人くらいは死んでいるはずだ、と思いました。真実を見きわめようとする力が、もう、そなわっていたのです。
同じころ、学校で先生に 「かわいいと思うもの、美しいと思うもの」 を書けと言われました。すると龍之介は、かわいいと思うものには象を、美しいと思うものには雲をあげました。ところが、先生に 「雲などどこが美しい、象もただ大きいばかりじゃないか」 とたしなめられ、答案には×がつけられてしまいました。しかし、このときの龍之介には、雲と象が真実だったのです。
龍之介は小学校に入ったときからたくさんの本を読み、10歳をすぎると、家にあった 「西遊記」 や 「水滸伝」 を愛読、さらに、町の図書館や古本屋へも通って、おとなが読む文学書を、かたっぱしから読みつづけました。そして、11歳のときには、友だちと『日の出界』という回覧雑誌をだして、いろいろな小説を発表しました。本を多く読むうちに、読むだけではものたりなくなり、自分で小説を書くようになっていったのです。

芥川龍之介(1892〜1927)──「くもの糸」「杜子春」「鼻」などの名作を残し35歳で自殺した作家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき芥川龍之介を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。

投稿日:2006年11月21日(火) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)