児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  偉人の子ども時代 >  「石川啄木」 のこども時代

「石川啄木」 のこども時代

● 教室の窓から逃げ出して城跡にねころぶ

啄木は5歳で小学校へ入学しました。父 (村の寺の住職) に早くから読み書きを教わってきた啄木は、わが子を自慢に思う父の計らいで、人よりも1年早く入学したのです。
1年のときは病弱で欠席が多かったため、あまりよい成績ではありませんでしたが、2年、3年と成績順位は上がり、尋常科卒業の4年のときにはクラスの中で1番でした。そして、このころから、のちに 「なんとなく自分をえらい人のように思いいたりき、子供なりしかな」 と歌っているように、自分はほかの子とは違うのだと思うようになっていきました。自分の才能への自信、これが歌人石川啄木を生む大きな力になっていったのです。
10歳で入学した高等小学校でも1〜3番、とくに作文力にすぐれ、担任の教師から 「石川の作文は学校に残しておきたい」 と、いつも取り上げられました。このことも文才への自信につながっていきました。
ところが、盛岡中学へ進んだ啄木は、軍人になることを考えました。
男はだれもが軍人を夢みる時代だったからでしょう。「軍人になると言い出して、父母に苦労させたる昔の我かな」 と歌っています。
しかし、2年上の及川古志郎 (のちの海軍大将) の家へ遊びにいくようになって、軍人の夢を捨てました。及川家にあった、山のような古典文学にふれて文学熱に火がついたのです。それからというもの 「教室の窓より遁げてただ1人、かの城址に寝に行きしかな」 の歌のとおり、教室をぬけでてもの思いにふけるようになりました。

石川啄木(1886〜1912)──貧困と病気の生活のなかで、歌をよみつづけた明治期の歌人、詩人。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年11月08日(水) 09:23

 <  前の記事 「マルコポーロ」 のこども時代  |  トップページ  |  次の記事 「川端康成」 のこども時代  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/513

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)