● 神経質で、しょっちゅう自家中毒にかかる
「潮騒」 「金閣寺」 などの名作で知られる三島由紀夫は、子どものころ、たいへん、ひ弱でした。生まれつきではなく、あまりにも祖母にかわいがられすぎたのです。しょっちゅう自家中毒の症状を起こしては、みんなを心配させました。
6歳で学習院へ入学しました。少し神経質な少年でしたが成績はすぐれ、放課後、命じられて教壇に立ち、先生の代わりに同級の成績の悪い子どもたちに教えたこともありました。体は弱くても、精神は人一倍強いものをもっていたのです。
勉強はもちろん好きでしたが、それよりも、もっと好きなことがありました。それは童話を読むことでした。小川未明や鈴木三重吉などの作品を見つけてきては、一人静かに、美しい世界、悲しい世界を心に描いて楽しみました。
本に夢中になることに父は反対でした。しかし、どんなに反対されても、文学に親しむことだけは捨てませんでした。初等料から中等科へ進んだころには、もう 「ぼくも小説や詩を書いてみよう」 という決心のようなものさえ芽ばえていたのですから。
13歳のときには、学習院の雑誌に作品を発表、その後は、外国の作品もむさぼり読んで、ひたすら作家への道を進んで行きました。少年時代からの夢を一筋に貫いたのです。
成人した由紀夫は剣道や空手などで体を鍛え、自分にきびしく生きながら、ほんとうの〈日本人の心〉を求め続けました。
三島由紀夫(1925〜1970)──童話を読んだ楽しさを忘れず、父に反対されても文学への道を突き進んだ作家。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき三島由紀夫を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。