● きかん坊だが正直なガキ大将
山形県の蔵王山のふもとに、農民の子として生まれ育った茂吉は、子どものころ、仲間のあいだでもとびぬけたガキ大将でした。みんなからはヤセモッキーというあだ名で呼ばれていましたが、とにかく負けずぎらいで、いつも、仲間の総大将でした。
遊び場は、村を流れる須川の河原と、宝泉寺という寺の境内でした。河原ではよく、よその村の子どもたちと石合戦をしました。このとき茂吉は、作戦をねって味方の指揮をとり、味方が少しでも負けそうになると、飛んでくる敵の石などおそれず、自分が先頭に立って戦いました。そしてたいていは勝利をおさめ、敵が逃げていくと、水の中まで追いかけていって、かちどきをあげました。
石合戦のときも、河原で夢中になって遊んだときも、ぬれてしまった着物は、宝泉寺の墓からぬいてきた卒塔婆を河原で燃やして乾かし、なにくわぬ顔をして家へ帰りました。
でも宝泉寺の和尚からは 「きかん坊だが正直な子だ」 と、かわいがられました。5歳下の弟の直吉と2人だけで、1日に7回も8回も寺へ行くことがありましたが、このときの目的は、お菓子でした。字を書く和尚の墨すりを手伝うと、せんべいなどをもらえたのです。しかし一方ではこの和尚から、眼をつぶって考えるくせ、灰に字を書くくせ、顔にぬれ手ぬぐいをのせるくせなどといっしょに、書を学び、やがて14歳で東京へでると、医者の斉藤家の養子となって、歌人の道へすすんでいきました。
斉藤茂吉(1882〜1953)──医者のかたわら、土のにおいのする短歌を作り続けた歌人。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。なお、「せかい伝記図書館」では、世界と日本の歴史に名を残した最重要人物100名の「伝記」、重要人物300名の「小伝」をすべて公開する計画です。「伝記」終了後、ひきつづき斉藤茂吉を含む「小伝」に移りますので、ご期待ください。