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「豊田佐吉」 のこども時代

● 外で働きながら、教室の先生の話をいっしょうけんめいに聞く

パタンパタン、パタンパタン。まいばん、佐吉がふとんに入っても、この音がきこえてきます。母親の、はたおりの音です。佐吉は、この音をきくと、いつも母親がかわいそうになりました。
大工の子として生まれた佐吉は、小学校を卒業すると、父の仕事を手伝うようになりました。ほんとうは、大工の仕事は好きではなかったのですが、父のいいつけですから、しかたがありませんでした。
あるとき、父が、ちかくの学校の校舎をなおす仕事をすることになり、佐吉は、しぶしぶついて行きました。ところが、まもなく、仕事に行くのが楽しみになりました。先生が、教室で子どもたちに読んできかせている世界の発明家の話を、教室の外で、そっときくことができたからです。
なかでも、自分と同じ大工で、苦労をして糸をつむぐ機械を発明したハーグリーブズの話に、すっかり心をうたれました。
佐吉は、その発明家の本を、どうしても自分で読んでみたくなって、先生に 「本をかしてください」 と、たのみました。すると、先生は 「教室の外で、いっしょうけんめいに話をきいていた君に感心していたのだよ」 といって、よろこんでかしてくれました。「西国立志篇」 という本です。
佐吉は、発明家たちの話にむちゅうになりました。そして、やがて、 はたおり機の研究にとりくむようになりました。「学問はなくても、努力さえすれば、自分だって、きっとできる。あたらしいはたおり機を作って、お母さんの、はたおりの仕事を楽にしてやろう」 と決心したのです。

豊田佐吉(1867〜1930)──はたおり機の研究と改良に生涯をささげて、日本の紡績産業の発展に力をつくした人。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年10月12日(木) 09:34

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)