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「リビングストン」 のこども時代

● 子どもの頃から働きながら学び、見知らぬ土地への夢を育てる

リビングストンの父はお茶売りの商人でしたが、キリスト教を深く信仰する、心の正直な人でした。そして母も、自分のことより人のことばかり心配する、心のやさしい人でした。
少年時代のリビングストンは、この父母の愛につつまれて、あたたかく育ちました。ただ、約束を守ることだけはきびしくしつけられ、約束をやぶって父にむちで打たれたこともありました。
10歳になると、織物工場ではたらくようになりました。そのうえ、朝6時から夜8時までの仕事が終わると、それから2時間、夜学へかよって勉強をつづけました。父の収入だけでは、学校へも行けなかったからです。
母は、こんなわが子がかわいそうでなりませんでした。けれどもリビングストンは、けっしてぐちをこぼすようなことはなく、はたらいて手にした給料のなかからラテン語の本を買って、仕事のあいまにも織物機械の上にひろげて読みつづけました。そしてしだいに、「人びとの幸福のためにつくしたい。そのためには、心で思っているだけではだめだ。どんなことでも行動にうつさなければ」 と考えるようになり、海のむこうの見知らぬ土地へ渡ることを夢見て、科学や宗教の本のほかに旅行の本も多く読みました。こうして、子どものときからの夢をひろげていったリビングストンは、やがてアフリカへ渡り、黒人たちのために力をつくしましたが、これも、幼いときに父母から教えられた正しい清らかな生き方を、守りとおしたからこそ果たせたのでしょう。

リビングストン(1813〜1873)──少年時代からの夢を育ててアフリカへ渡り、黒人たちのために生涯をささげたイギリスの宣教師。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年10月13日(金) 09:39

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)