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「アムンゼン」 のこども時代

● 寒さに負けない体づくりのために、どんなに寒い夜も窓を開けてやすむ

船乗りの子として漁村に生まれたアムンゼンは、小さいときから、海がすきでした。そして、いつかきっと、海のむこうの見知らぬ土地へ行くことを夢にえがいて、成長しました。
15歳のころのこと、アムンゼンは、1冊の本に、むちゅうになりました。129人の隊員たちといっしょに、2せきの船で北極へ向かい、2年ものあいだ、きびしい大自然とたたかいつづけて、ついに、隊員たちとともに死んでいった、イギリスの探検家ジョン・フランクリンの伝記です。アムンゼン少年は、命をかけて北極へいどんだフランクリンの強さに心をうたれ、この本を、なんどもなんども読みかえしては 「よし、ぼくも、必ず北極へ行くぞ」 と、自分にちかうようになりました。
でも、この決心は、だれにも言いませんでした。まもなく父が亡くなって母に育てられるようになり、やさしい母に心配をかけてはいけないと思ったからです。アムンゼン少年は、母のいいつけを守っていっしょうけんめい勉強しました。
しかし、夢をすててしまったのではありません。からだをきたえておくために、スキーやフットボールにはげみました。また、北極の寒さに負けないように、どんなに寒い夜も、部屋の窓を開けてやすみました。そして、母が亡くなると、船員になって探検船へ乗りこみ、自分の夢をめざして、つき進んでいきました。でも、フランクリンと同じように、北極で命を絶ってしまいました。

アムンゼン(1872 1928)──少年時代からの夢をつらぬいて南極点を征服したノルウェーの探検家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年10月11日(水) 09:35

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)