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「渡辺崋山」 のこども時代

● 寺へ出された弟との別れに声もでなかった

少年時代の崋山は、なにかひとつ考えはじめると、そのことだけに夢中になってしまう子どもでした。考えごとをしながら歩いているうちに、大名行列を横ぎろうとして家来にとがめられ、あやうく命をおとしてしまいそうになったことがあります。勉強ずきのあまり、湯をわかしながら、かまどの火明かりで本を読んでいるうちに着物をすっかりこがして、母にしかられたこともあります。
しかし、崋山は、心のやさしい少年でした。着物をこがしたときも、よそへ借金に行って寒い雪のなかを帰ってくる母のために、足を洗う場をわかしてやろうとしていたのです。
そんな崋山にとって、いちばん悲しかったのは、家が貧しかったので、すぐ下の弟が3歳のときに寺へ小僧にだされ、つづいて、その下の弟もよその家へ養子にやられてしまったこと。知らない人に手をひかれて、こちらをふりかえりふりかえり行ってしまう弟を見送るときは、声もでないほど悲しくてしかたがありませんでした。
でも、大名行列の家来にとがめられたり、家が貧しくて弟たちと別れ別れにならなければならなかったことは、自分へのきびしいムチになりました。しっかり学問をして大名からでもバカにされない人間になろうと、すぐれた画家になって、苦労している父母や弟たちを助けてやろうと決心した崋山は、人いちばい努力するようになっていったのです。

渡辺崋山(1793〜1841)──画家・思想家として日本の夜明けにむかって強く生きぬいた江戸時代末期の武士。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/kazan/index.html

投稿日:2006年10月10日(火) 09:24

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)