● 寺へ出された弟との別れに声もでなかった
少年時代の崋山は、なにかひとつ考えはじめると、そのことだけに夢中になってしまう子どもでした。考えごとをしながら歩いているうちに、大名行列を横ぎろうとして家来にとがめられ、あやうく命をおとしてしまいそうになったことがあります。勉強ずきのあまり、湯をわかしながら、かまどの火明かりで本を読んでいるうちに着物をすっかりこがして、母にしかられたこともあります。
しかし、崋山は、心のやさしい少年でした。着物をこがしたときも、よそへ借金に行って寒い雪のなかを帰ってくる母のために、足を洗う場をわかしてやろうとしていたのです。
そんな崋山にとって、いちばん悲しかったのは、家が貧しかったので、すぐ下の弟が3歳のときに寺へ小僧にだされ、つづいて、その下の弟もよその家へ養子にやられてしまったこと。知らない人に手をひかれて、こちらをふりかえりふりかえり行ってしまう弟を見送るときは、声もでないほど悲しくてしかたがありませんでした。
でも、大名行列の家来にとがめられたり、家が貧しくて弟たちと別れ別れにならなければならなかったことは、自分へのきびしいムチになりました。しっかり学問をして大名からでもバカにされない人間になろうと、すぐれた画家になって、苦労している父母や弟たちを助けてやろうと決心した崋山は、人いちばい努力するようになっていったのです。
渡辺崋山(1793〜1841)──画家・思想家として日本の夜明けにむかって強く生きぬいた江戸時代末期の武士。
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