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「アンデルセン」 のこども時代

● 空想ばかりして人に笑われ、学校はいつも長続きしなかった

アンデルセンは、6歳で、貧しい家の子どもだけが通う学校へ入りました。でも、すぐ、やめてしまいました。そして、その後2回かわった学校も、やはり、長続きしませんでした。
勉強がきらいだったのではありません。いろいろなことを、ひとりで空想するのが好きで、女の子に 「ぼくが大きくなったら、ぼくのお城の、乳しぼりにしてあげるよ」 などと言っては、みんなに笑われ、学校へ行くのが、いやになってしまったのです。
くつ屋だった父は、アンデルセンが11歳のときに亡くなり、家は、ますます貧しくなりましたが、その父が 「自分の気のすすまない道へすすんではいけない。自分のなりたいと思うものになることが、たいせつだよ」 と言いのこしてくれたのが、しあわせでした。
アンデルセンは、父を失ったあと、りっぱな芸術家になる夢を、いっそう強くもちつづけ、本を読んだり、人形劇をしたり、歌をうたったりして、すごしました。本で、いちばん好きだったのは、シェイクスピアの 「ハムレット」 や「リア王」 です。10歳をすぎたばかりの少年に、こんなむずかしい劇の本のほんとうの内容はわかりません。しかし、物語にでてくる魔法使いや、ゆうれいが、おもしろく、やがて、自分でも、王さまや魔女の物語を書いては、人に読んで聞かせました。ただ、母には心配ばかりかけつづけ、20歳をすぎて母が亡くなったときは、親不幸をわびて、いく日も泣きました。

アンデルセン(1805〜1875)──幼いころから魔法使いなどの物語を書いて芸術家への夢を追いつづけた童話の王さま。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/andersen/index.html

投稿日:2006年10月06日(金) 09:41

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)