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「間宮林蔵」 のこども時代

● ひとりで山にのぼり、りっぱな人間になるように祈る

林蔵は、貧しい農家に生まれましたが、幼いころから 「人のために、りっぱな仕事をする人間になりたい」 と、思っていました。
12歳のときのこと、村の人たちにつれられて筑波山へ行きました。すると、夜中に、旅館は大さわぎになりました。林蔵が、いなくなってしまったのです。みんなは、夜、外へでて、てんぐにでも、さらわれたのではないかと心配しました。
ところが、朝になると、林蔵は、なにもなかったような顔をして、もどってきました。手のひらを見ると、黒くすすけて、やけどをしています。「どこへ行ってたんだ」 と聞けば 「立身岩で、お祈りをしてたんだよ」 と答えて、けろりとしています。
筑波山のなかに、立身岩とよぶ高さ9メートルの大きな岩が立っていて、この砦の前で人に知られないようにして熱心に祈れば、人びとにみとめられる、りっぱな人間になれると、いわれていました。林蔵は、こっそり、ここへきて、手のひらに油をたらし、その油につっこんだ燈しんに火をともして、ひと晩じゅう、一心に、お祈りをしてきたのです。
やがて、15歳を数えるころになった林蔵は、常陸国 (茨城県) から東京へでて、測量術にすぐれた地理学者のもとで学ぶようになり、日本各地を南から北へ西から東へ歩きつづけながら、探検家への夢をひろげていきました。

間宮林蔵(1775?〜1844)──樺太が島であることをはじめて明らかにして、いまも世界地図に間宮海峡の名を残す探険家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/mamiya/index.html

投稿日:2006年10月05日(木) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)