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「ミケランジェロ」 のこども時代

● 大理石のカケラをおもちゃにしてあそぶ

ミケランジェロは、フィレンツェの警察長官の子として生まれながらも、生後まもなく、親戚の石彫工の家へ里子に出されました。母のからだが弱く、すでにミケランジェロの上に、1歳半になる手のかかる子どもがいたからです。しかし、およそ4年のあいだ石彫工のもとへあずけられたことは、母親の愛にはめぐまれずに終わった (母はミケランジェロが5歳のときに死亡) としても、その後のミケランジェロのためには幸いでした。里子に出されていた幼年時代に、大理石のかけらをおもちゃにして育ったことが、のちの大芸術家を生む契機となったのです。このことは、ミケランジェロ自身、「わたしの彫刻家としての天分は、里親の乳を飲んだからだ」 と語っています。
6歳で小学校に入学しました。ところが、いつも素描 (デッサン) にばかり熱中して、教師や父を怒らせました。このことも 「素描に熱中したために父や叔父たちからよくは思われず、しばしば、ひどく打たれた。父や叔父は芸術家という仕事をひどくきらって、家の中から芸術家を出すことは恥だと思っていた」 と語っています。
少年時代のミケランジェロはひどく孤独でした。でも、13歳のときその孤独にうち勝ちました。頑固に決意をまけず、学業を捨てて芸術家のもとへ弟子入りして、彫刻家への道を歩みはじめたのです。そして決意をまげなかったことが、ミケランジェロを世界の芸術家へとみちびいていきました。

ミケランジェロ(1475 1564)──少年時代の孤独をのりこえ、つねに 「生きている人間」にとりくみつづけた大芸術家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年10月04日(水) 09:18

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)