● まま母にしかられながら子守り
一茶というのは、句をよむときの名まえです。ほんとうの名は、信之 (のぶゆき) といいました。3歳のときに母がなくなり、信之は祖母に育てられました。祖母は、かわいがってくれました。しかし、村の子どもたちからは 「親のない子は、どこでも知れる。つめをくわえて、かどに立つ」 と、からかわれ、いつも、ひとりぼっちでした。このころのさみしさは、のちにつくった 「われと来て 遊べや 親のないすずめ」 という句に、よくあらわれています。
7歳になったとき、新しい母がきました。でも、信之は、どうしても、なつくことができず、この新しい母からは、かわいがってもらえませんでした。弟の仙六が生まれると、ちいさな背におぶって子守りをさせられ、仙六がむずかって泣きだすと 「お母さんを困らせようと、わざと、おまえが泣かしたんだろう」 と、しかられました。
これを見て心配したのは父です。父は 「しばらく、お母さんと別れてくらしたら、仲がよくなるかもしれない。江戸へでてみたらどうだ」 と、すすめてくれました。
14歳になった信之は、思いきって、江戸へでました。そして、他人の家の軒下に寝るような苦しみをつづけ、やがて、苦しい生活の支えとして、俳句を学ぶようになっていきました。
小林一茶(1763〜1827)──3歳で母に死に別れ、14歳で江戸にでて、心やさしい、そぼくな歌を読みつづけた俳人。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
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