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「毛沢東」 のこども時代

● 6歳のころから畑で働き、夜、父親にかくれて読書

農家に生まれた毛沢東は、6歳のころから、泥にまみれてはたらきはじめましたが、親の権力をふりまわす父親から、よく、なぐりつけられました。ところが権力に反対する毛沢東は、けっしてだまってばかりいないで、池のふちまで追いかけてきた父を、「近よるととびこんで死んでしまうぞ」 とおどかして、なぐらないことを約束させたようなこともありました。人のいいなりにならない、つよい心をもっていたのです。
また、その一方で、たいへん心やさしくなさけぶかい母親が、父にかくれて、まずしい人へ、こっそり米をあたえたりしているのを見ると、自分がよいことをしたように、うれしくてしかたがありませんでした。そして、毛沢東の心のなかには、まずしい人たちのことを、かわいそうに思う気持ちが、しだいに、めばえていきました。
父親は 「はたけのしごとをするものは、勉強などしなくてもいい」 と言い、毛沢東は、13歳で、村の塾をやめさせられてしまいました。でも、国や社会のことについて、いろいろ考える毛沢東は、昼のはたけしごとが終わると、夜はこっそり、あかりを父に見つけられないようにしながら、『西遊記』や『水滸伝』などの本を読んで、自分の夢をひろげていきました。この少年のころから、自分の生まれた中国という国を、りっぱにしようと思いつづけながら、大きくなっていったのです。16歳になったとき、米屋へはたらきに行かせようと考えていた父に反対して、やっと、高等小学校へ行くようになり、やがて、中学校から師範学校へと進んでいきました。

毛沢東(1893 1976)──強い心とやさしい心で国のために戦いつづけ、新しい中国をうちたてた革命家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/mohtakutoh/index.html

なお、中国(中華人民共和国)は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代(1949〜1978)と搶ャ平時代(1978年〜現在)の2つに分けて考えられています。
毛沢東のひきいた時代は、社会主義化を促進して大きな成果をあげましたが、たくさんの餓死者を出すなど、政策は失敗に終わりました。さらに、経済の建て直しをめぐる対立から、毛沢東は文化大革命を発動して、反対派とされた人たちをつるしあげたり殺害するなど、国内は内乱状態になりました。
文化大革命は1978年の毛沢東の死により終結し、かわった搶ャ平が経済開放政策を打ち出しました。これをきっかけに、中国の近代化や経済の急成長をもたらしたことは高く評価されています。そのため、毛沢東に対する評価も2分されていることを記しておきます。

投稿日:2006年10月17日(火) 09:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)