● 目がみえなくなっても悲しい顔をせず、耳から学び続けた
保己一は、5歳のころ、高い熱がつづく病気で目が見えなくなってしまいました。しかし、目が見えなくなっても、いつも明るくふるまいました。わが子を盲目にしてしまった両親の悲しみが、耳から聞くことばで、よくわかったからです。
保己一は、両親の 「目は見えなくても、人に負けない人間にしてやらなければ」 という願いで、やがて、和尚さんが開いている寺小屋へ、かよいはじめました。目は見えないのですから、自分で本を読むことも、字を書くこともできません。じっと、すわって、和尚さんの話を聞くだけです。ところが、しばらくすると、和尚さんをおどろかせてしまいました。和尚さんが、歴史物語の「太平記」を読んで聞かせて記憶をたしかめてみると、保己一は、ひとこともまちがえずに、すっかり暗しょうしてみせたのです。
保己一は、それからも、耳から話を聞いて学問をつづけながら、たとえ目は見えなくても自分のことは自分でする、しっかりした少年に育っていきました。11歳のときには、やさしかった母が亡くなって、いく日もいく日も泣きつづけましたが、まもなく、気をとりなおして 「あの世の母がよろこんでくれる人間になろう」 と決心すると江戸へ──。そして、想像もできないような記憶力と努力で 「群書類従」 という全部で670冊の本を出版して、日本じゅうの人びとをあっといわせました。
塙保己一(1740〜1821)──すばらしい記憶力と努力で大事業をなしとげた、江戸時代の盲目の国学者。
詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。