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「スチーブンソン」 のこども時代

● 炭鉱の蒸気機関をながめながら、粘土で模型をつくって遊ぶ

スチーブンソンの父は、炭鉱の坑内にわきだす水を外にくみだす蒸気機関の、かまたきでした。家は、1軒の家に、よその3家族といっしょに住まなければならないほど貧乏でしたから、スチーブンソンは学校へも行かせてもらえません。学校へ行くどころか、友だちと遊びたいのもがまんしてもはたらかなければなりませんでした。
少年スチーブンソンの仕事は、牧場の番でした。1日じゅう、ヒツジを見まもっているのは、たいくつです。だから、いつも、遠くに見える炭鉱の蒸気機関ばかりながめていました。シュッシュ、シュッシュ、シュッシュ、シュッシュ。まるで生きもののように動いている蒸気機関をながめていると、これを動かしている父がうらやましくてしかたがありません。そこで、スチーブンソンは、粘土をとってきては、牧場の草の上で、いくつもいくつも、蒸気機関の模型を作りました。
14歳になった年から、炭鉱ではたらくことになりました。父の助手です。顔や手がまっ黒になっても、蒸気機関のそばにいられるだけで、しあわせです。18歳になると、夜の学校へ通って 「そんなに大きいのに、字も読めないの?」 と笑う年下の子どもたちと机を並べてABCを学び、やがて、本が読めるようになると自分の力で蒸気機関の研究をつづけて、世界の「鉄道の父」 への道を、まっしぐらに進んで行きました。

スチーブンソン(1781〜1848)──小さいときから蒸気機関に興味をもち、自分の力で勉強をつづけて蒸気機関車を発明した鉄道の父。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/stebnson/index.html

投稿日:2006年10月23日(月) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)