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「ゴッホ」 のこども時代

● 人におしつけられるのをきらい、学校の規則も守れず退学

幼いころのゴッホは、無口で、がんこで、ときどきかんしゃくを爆発させる困った少年でした。
弟とも、妹とも、あそびません。ゴッホがいつも、ひとりで時間をすごしたのは、太陽の光があふれる野山でした。美しい静かな自然のなかにいるときだけは、心がすなおになれたのです。
やがて、村の小学校へあがっても、人からおしつけられるのがきらいでしたから、あらそいばかりおこして、友だちができません。そのうえ、学校の規則も守らないので、みんなから 「やばん人だ」 とバカにされ、すぐ退学してしまいました。
「この子の将来は、いったいどうなるのだろう」
キリスト教の貧しい牧師だった父は、困ってしまいました。母も悲しみました。しかし、たったひとり、いつも草や木や空や太陽と話をしているゴッホを 「ほんとうは、心の強いやさしい人なんだ」 と、信じているものがいました。4歳下の弟のテオです。
ゴッホには、テオのやさしさが、よくわかりました。だから、画家としてひとりで生きるようになってからも、テオにだけは、いつも手紙を書きました。そして、自分の胸をピストルで撃って37歳の生涯をとじるときは、テオの手をにぎりしめて息をひきとり、兄ゴッホが死ぬと、それから半年ののちに、テオも、そのあとを追うようにして亡くなってしまいました。

ゴッホ(1853〜1890)──貧しさと孤独にたえながら、まるで炎のように自分に情熱をもやして生きたオランダの画家。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/gogh/index.html

投稿日:2006年10月25日(水) 09:23

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)