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「宮沢賢治」 のこども時代

● 自分はしかられても立たされている子に同情

賢治が小学生のときのこと。ある日、いたずらをした生徒が、水をいっぱい入れた茶わんを手にもたされて、廊下に立たされていました。すると、ちょうど、そこを通りかかった賢治は、その生徒の前に行くと、茶わんの水を、すっかり飲んでやりました。こんなことをすれば、こんどは自分がしかられるとわかっていても、立たされている生徒が、かわいそうでならなかったからです。
賢治は、仏教を深く信仰していた父のえいきょうで、3歳のころから、意味もわからずにお経を口ずさみながら育ちました。また、たいへん慈悲ぶかかった母から、しぜんに、心のやさしさをおそわりながら、少年時代をすごしました。そして、小学校3年のころからは、クラス担任の先生が、ひまを見つけてはグリムやアンデルセンの童話を読んでくれたおかげで、童話にしたしみながら成長していき、こんなことがかさなって、自分よりも人のことを思いやる美しい心を大切にするようになっていったのです。
5年生のとき、父に 「きみは、おおきくなったら、なんになる」 と聞かれると、賢治は 「とくに、えらくならなくてもいい」 と答えたということです。えらくなるよりも、心の美しい人になろうと考えていたのでしょう。やがて賢治は、植物や鉱物を採集しながら野山を歩きまわるようになり、農民たちを心から愛しながら、詩人への道、児童文学者への道を進んでいきました。

宮沢賢治(1896〜1933)──農民たちのしあわせを願って、やさしく清らかに生き、多くの名作を残した詩人・児童文学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。近日中にアップする予定ですので、ご期待ください。

投稿日:2006年10月26日(木) 09:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)