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「ニュートン」 のこども時代

● いじめられると、すぐに涙を流した泣きむし弱むしの少年

ニュートンは、孤独でした。ニュートンがうまれる前に父が亡くなり、まもなく母も、2歳のニュートンを置いて再婚してしまったのです。祖母に育てられたニュートンは、いつも家にばかりいる、ひよわな子どもでした。6歳で村の小学校へあがってからも、少しいじめられると、すぐ涙をながし、みんなに 「泣きむしニュートン」 と、からかわれました。
学校の成績も、クラスでおしまいのほうでした。でも、工作だけは、だれよりもじょうずでした。友だちとはあまり遊ばず、毎日、日時計や水車や風車などのもけいを作って、すごしました。
6年生のときのことです。ニュートンが、小川で小さな水車の実験をしていると、クラスいちばんのわんぱくな子がやってきて 「泣きむしニュートンに、そんなものが作れるものか。だれかに作ってもらったんだろう」
と、からかいました。すると、ニュートンは、あっというまにとびかかって、その子をこうさんさせてしまいました。「そんなものが作れるものか」 と言われたのが、がまんできなかったのです。
さあ、つぎの日から、ニュートンを泣きむしと呼ぶものは、もういません。「力いっぱいぶつかれば、ぼくだって負けないんだ」 ということがわかったニュートンは、それからは勉強にも力を入れ、やがて成績も、クラスで1、2番になりました。そして、わからないことは自分の頭で深く考える少年へ、成長していきました。

ニュートン(1642〜1727)──努力で自分の人生を切りひらいて万有引力を発見したイギリスの大科学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブックせかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/newton/index.html

投稿日:2006年09月07日(木) 09:17

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)