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「キュリー夫人」 のこども時代

● 姉からお話をしてもらううち、一人で本を楽しむようになる

キュリー夫人 (27歳でピエール・キュリーと結婚) は、子どものころの名をマーニャといいました。
理科の教師を父に、5人きょうだいの末っ子として生まれたマーニャは、小さいときから、兄や姉たちのあたたかい愛情につつまれて成長しました。なかでも、なによりも好きだったのは、いちばん上の姉のソーシャから、お話をしてもらうこと。感受性が強く記憶力にすぐれていたマーニャは、お話に夢中になるうちに、空想の世界の楽しさを知り、言葉や文字を覚え、5歳のころには、もう、ひとりで本を読むようになりました。
ところが、2歳上の姉のブローニャといっしょに本を読んでは、あとで、泣きだしてしまうことがありました。妹のマーニャのほうが本を早く読んでしまうのを見て、ブローニャがくやしがり、マーニャは、そのブローニャを見ると、なにか自分が悪いことをしたように、泣いてあやまったのです。未来の女性科学者マーニャは、そんな、心のやさしい子どもでした。
やさしいといえば、マーニャは、だれよりも母を慕い、母のそばにちょこんとすわっているのが大好きでした。でも、1つだけ不満がありました。なぜか、母が1度も接吻してくれなかったことです。これは、母はマーニャを産んだのちに結核におかされ、この病気の伝染を恐れてのことでしたが、マーニャにはそれが理解できなかったのです。この母は、まもなく天国へ行ってしまいました。

キュリー夫人(1867〜1934)──子どものころ姉のお話を聞くのが好きだった、ノーベル賞受賞の女性科学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/curie/index.html

投稿日:2006年09月11日(月) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)