● 母と草摘みに行くうちに植物採集が好きになり、本草学者の道へ
高松藩につかえる足軽の子として生まれた源内には、ほんとうは10人の兄弟がいました。ところが、家が貧しかったため、病気や栄養不良で、そのうちの8人が亡くなり、大きく成長したのは源内と妹のふたりだけでした。
源内は、5、6歳をすぎると、いつも母といっしょに、野山へ草つみにでかけました。家の貧しいくらしを助けるために、食べられ草、薬になる草をつみ、薬になる草は、それを売るのです。
はじめ源内は、母の見つけたものをつむだけでした。しかし、しだいに、いろいろな植物を採集する楽しさをおぼえ、家へ帰ってからもつんできた植物を並べて、ひとりで遊ぶようになりました。
そんな、ある日、父に 「それほど植物が好きなら、本草学者にでもなるか」 と言われます。すると、父は冗談半分だったのに、源内は目を輝かせて 「はい、ぜひなりたいです」 と答えました。本草学者というのは、病気をなおす薬草を研究する人のことです。
やがて14歳になった源内は、ほんとうに願いがかなって、高松藩につかえる医者のもとで学ぶようになり、まもなく、藩の薬草園係にとりたてられました。高松藩の野山にはえている薬草のことなら、知らないことはありません。未知のことに人一倍の興味をもつ源内は、本草学の勉強をつづけながら、広い知識を求めて物語や文学の本も読み、発明をしては人をおどろかせ、絵や物語を書いても人をおどろかせる、ふしぎな人間へと成長していきました。
平賀源内(1728〜1779)──母と草摘みへ行くうち本草学者となり、のちには文学の名作も残した江戸時代の科学者。
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