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「モーツァルト」 のこども時代

● 4歳でピアノをひき5歳で曲を作って父をおどろかす

宮廷楽団でバイオリンをひき、作曲にもすぐれていた音楽家の子として生まれたモーツァルトは、3歳のころから、小さな手でピアノをたたくようになりました。
ある日のこと。5歳うえの姉が父からピアノをおそわっているのを、そばで見ていたモーツァルトは、姉の練習がおわると、父に、自分にもひかせてくれるようにたのみました。でも、まだ、いちども教えたことのない、むずかしい曲です。父は、首をよこにふりました。ところが、腰かけによじのぼったモーツァルトは、耳からきいただけで、その曲を、ほとんどまちがいなくひいて、父と姉をおどろかせました。
父をおどろかせたのは、それだけではありません。4歳になると、自分の心のなかで自分の音楽を考えるようになり、早くも5歳のときには、コンチェルトを書きました。コンチェルトというのは、ピアノやバイオリンなどの独奏者とオーケストラが、いっしょにひきあう、むずかしい曲です。
このころにはバイオリンもじょうずにひくようになり、ピアノやバイオリンをひき、そのうえに作曲までする5歳のモーツァルトは、またたくまに、天才とよばれるようになりました。
6歳になると、父につれられ、馬車で1か月も2か月も演奏旅行へでかけて、皇帝のまえでもピアノをひきました。でも、旅のとちゅうに病気にかかって、命さえあぶなくなったこともありました。

モーツァルト(1756〜1791)──天才とよばれ626曲を残して35歳のみじかい生涯を終えたオーストリアの音楽家。今年が生誕250年に当たるため、世界じゅうでさまざまなイベントや、曲集が発売されています。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/mozart/index.html

投稿日:2006年09月15日(金) 09:26

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)