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「二宮尊徳」 のこども時代

● 家の貧しさにも両親を失った悲しみにも負けず、勉強をかさね続ける

柴を背負い、歩きながら本を読んでいる少年──二宮金次郎といえば、むかし、多くの小学校に建てられていた銅像が思いだされます。あの銅像は、戦時下において国家主義に利用されたということで、日本の敗戦後、すべて取りはらわれてしまいました。
しかし、金次郎がそのようにまでして学問をつづけたというのは実話です。金次郎の祖父は大地主でしたが、金次郎の父がお人よしだったために父の時代で財産を失い、そのうえ金次郎が4歳のときに大洪水がおこり、家は、すっかり貧しくなってしまいました。さらに13歳のときには、その父をも亡くしてしまいました。
金次郎は、父にかわって田畑をたがやしました。でもそれだけでは生活できず、朝は暗いうちから山でたきぎの柴を刈り、それを町 (今の小田原) へ背負っていって売りました。また、夜は夜でおそくまでわらじやなわを作って、これも生活の足しにしました。「りっぱな人間になって、二宮家を、もういちど祖父の時代のようにしてみせる」 と心に誓った金次郎は、「学問をしなければ、ただの農民に終わってしまう」 と自分に言い聞かせて、たきぎを背負って道を歩くときも、わらじやなわを作るときも、本を手ばなさなかったのです。
15歳のときには母も亡くなり、金次郎は伯父の家へあずけられました。そしてまるで下男のようにはたらかされました。しかしどんなに苦しくても、本を読むことだけは忘れませんでした。

二宮尊徳(1787〜1856)──苦しさに負けずに学問を続けて、貧しい農村をつぎつぎに立て直した努力の人。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/ninomiya/index.html

投稿日:2006年09月19日(火) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)