児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  偉人の子ども時代 >  「ファーブル」 のこども時代

「ファーブル」 のこども時代

● めずらしい虫の声を聞くと、何日も探し続けた虫きちがい

ファーブルは、家がたいへん貧しかったため、幼児のとき、両親と別れて祖父のもとへあずけられました。祖父の家は、村はずれの山の中です。友だちひとりいません。
でも、ファーブルは、すこしも、さみしくはありませんでした。森や牧場に、たくさんの昆虫がいます。昆虫と遊ぶのが楽しくてしかたがありません。めずらしい虫の声を聞くと、何日かかってもさがします。その熱心さには、祖父も祖母も 「あの子は、ほんとうに虫きちがいだよ」 と、あきれてしまったほどでした。
7歳になると、村へもどって小学校へあがりました。教室が一つしかない小さな学校です。それに、いつも、教室にブタやニワトリがまよいこんできます。だから、勉強はちっともすすみません。ファーブルは、あいかわらず、昆虫や動物と遊んでばかりでした。
10歳のとき、家族は町へ引っ越しました。父が、町でコーヒー店を開くことになったからです。ところが、父は、わずか4年で、この仕事に失敗してしまいました。そして、14歳のファーブルは、こんどはほんとうに両親と別れて、自分ひとりで生きていかなければならなくなり、鉄道工事の土はこびをしたり、遊園地でレモン売りをしたりして、お金をかせぎました。宿がないときは、公園のベンチで星空を見上げながら寝ました。苦しくて泣きたいときは、昆虫のことを考えました。

ファーブル(1823-1915)──生涯、やさしい心で昆虫を見つめつづけ、愛情あふれる「昆虫記」を書き残した世界の昆虫学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/fabre/index.html

投稿日:2006年09月20日(水) 09:16

 <  前の記事 「二宮尊徳」 のこども時代  |  トップページ  |  次の記事 「西郷隆盛」 のこども時代  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/546

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)