● 大けがにも仲間のあざけりにも負けず、学問にはげみ続ける
小さいころの隆盛は、近所の仲間たちから、いつも 「貧乏人の子のくせに……」 と、わらわれました。父は、さむらいでも身分が低く、それに7人の子どもたちがいて、家がたいへんまずしかったからです。
でも、どんなにまずしくてもさむらいの子です。隆盛は、6、7歳のころから藩の学校へかよって、読み書きを学びながら、いっぽうでは示現流という剣術にはげみました。また、水泳やすもうで、からだをきたえました。からだがでかく、目玉が大きく、いつもだまっているのっそりした少年でしたから、みんなに 「大目玉ののろ吉」 などとよばれましたが、大きくなったら、強いりっぱなさむらいになることを、心にちかっていたのです。
ところが、11歳のとき、弱いものいじめをする子とあらそって、右うでを、いためてしまいました。相手の子の剣でうたれた右うでは、まっすぐのびなくなってしまい、もう、剣術の強いさむらいになることはできません。隆盛は、悲しくなってしまいました。
しかし、このとき、寺の和尚さんに 「剣術に強いばかりが、さむらいではない。剣がだめでも、学問にはげんだらよいではないか」 と、教えられました。そして、それからは、いっしょうけんめいに学問にうちこみ、人に尊敬される人間へ成長していきました。心の強い隆盛は、片うでの大けがなどには負けずに、仲間から 「貧乏人の子」 「大目玉ののろ吉」 などと、あざけられたのにも負けずに、英雄への道をすすんでいったのです。
西郷隆盛(1827-1877)──右腕の大怪我にも仲間のあざけりにも負けず、人に尊敬される人間へ成長していった英雄。
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