● 夜ひとりで山奥へ入り、木や岩を敵にして竹刀をふった
義経は、小さいころの名を牛若といいました。牛若が生まれたつぎの年に、父は、平氏との戦い (平治の乱) にやぶれて、殺されてしまいました。そして、牛若は、母と、今若、乙若のふたりの兄といっしょに、平氏の大将平清盛のもとにとらわれの身となり、やがて6歳になると、京の都の北にある鞍馬山の寺へあずけられました。清盛に 「武士になってはならぬ」 と、いいわたされたのです。
ところが牛若は、ある日、自分が源氏の大将の子であることを、はじめて知りました。父が死んだとき、兄の義平、朝長も殺され、もう一人の兄の頼朝は伊豆へ流されていることも知りました。
「いつか、きっと、父や兄のかたきを討たなければならぬ」
牛若は、平氏をたおすことを心にちかいました。そして、僧になる勉強をしているふりをしながら、ひそかに、剣のけいこを始めました。夜、寺をそっとぬけだして鞍馬山の奥の深い谷へ入り、木や岩を平氏の武士と思って木刀をふりおろすのです。
「鞍馬山の奥で、天狗が剣術をしているそうだ」
しばらくすると、鞍馬山の人びとのあいだに、こんなうわさがひろまりました。牛若が、京の五条の橋で大男の武蔵坊弁慶をうち負かしたと伝えられているのは、このころのことです。やがて、牛若は鞍馬山をぬけだすと名を源九郎義経と改め、りっぱな武将へ成長していきました。
源義経(1159〜1189)──鞍馬山でひそかに剣にはげみ、平氏をほろぼして父や兄のかたきを討った源氏の武将。
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