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「源義経」 のこども時代

● 夜ひとりで山奥へ入り、木や岩を敵にして竹刀をふった

義経は、小さいころの名を牛若といいました。牛若が生まれたつぎの年に、父は、平氏との戦い (平治の乱) にやぶれて、殺されてしまいました。そして、牛若は、母と、今若、乙若のふたりの兄といっしょに、平氏の大将平清盛のもとにとらわれの身となり、やがて6歳になると、京の都の北にある鞍馬山の寺へあずけられました。清盛に 「武士になってはならぬ」 と、いいわたされたのです。
ところが牛若は、ある日、自分が源氏の大将の子であることを、はじめて知りました。父が死んだとき、兄の義平、朝長も殺され、もう一人の兄の頼朝は伊豆へ流されていることも知りました。
「いつか、きっと、父や兄のかたきを討たなければならぬ」
牛若は、平氏をたおすことを心にちかいました。そして、僧になる勉強をしているふりをしながら、ひそかに、剣のけいこを始めました。夜、寺をそっとぬけだして鞍馬山の奥の深い谷へ入り、木や岩を平氏の武士と思って木刀をふりおろすのです。
「鞍馬山の奥で、天狗が剣術をしているそうだ」
しばらくすると、鞍馬山の人びとのあいだに、こんなうわさがひろまりました。牛若が、京の五条の橋で大男の武蔵坊弁慶をうち負かしたと伝えられているのは、このころのことです。やがて、牛若は鞍馬山をぬけだすと名を源九郎義経と改め、りっぱな武将へ成長していきました。

源義経(1159〜1189)──鞍馬山でひそかに剣にはげみ、平氏をほろぼして父や兄のかたきを討った源氏の武将。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/yositune/index.html

投稿日:2006年09月25日(月) 09:20

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)