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「新井白石」 のこども時代

● 自分に厳しい努力を重ね、ひとつひとつを成就

幼いときから、なによりも本が好きだった白石は、3歳のときには、もう字をおぼえ、6歳になると、むずかしい詩を暗記して、みんなをおどろかせました。
武士だった父のいいつけで、9歳のときから、文字の手習いを始めました。人から教わるのではありません。紙に、なんどもなんども書いて、1字1字、文字をおぼえていくのです。
白石は 「昼のあいだに3000字、夜は1000字だ」 と決心して、毎日、4000字ずつの手習いです。ところが、夜おそくなると、眠くなってしまいます。目がつぶれそうになって、文字がかすんできます。でも、4000字が終わるまでは、ぜったいにくじけず、眠くなったときは、どんなに寒い夜でも頭から水をかぶって、がんばりつづけました。
白石は、ものおぼえのよい少年でしたが、生まれつきの天才だったのではありません。
「苦しいことに負けてはだめだ。いちど決心したことは、けっしてくじけずに、さいごまでやりとおせ」。
父の、この教えを守り、人のなん倍も、なん十倍も努力をかさねて、ひとつ、ひとつ、ものごとをなしとげていったのです。
13歳になったころには、父のかわりに、あるときは父の仕える藩主のかわりに、たいせつな手紙を書くほどになりました。

新井白石(1657〜1725)──人一倍の努力に努力を重ねて学問をつづけ、将軍に仕えて正しい政治をすすめた江戸時代の学者。

詳しくは、いずみ書房のホームページにあるオンラインブック「せかい伝記図書館」をご覧ください。
http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/c02_denki/arai/index.html

投稿日:2006年09月27日(水) 09:16

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)