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まんじゅうこわい

「寿限無(じゅげむ)」と並んで、もっとも人気の高い落語のひとつ「饅頭(まんじゅう)怖い」というばかばかしい「お笑い」を一席。

(暇をもてあました若者数人が集まって、それぞれ嫌いなもの、怖いものをいいあっていきます。皆んなで、「青大将(ヘビ)」「クモ」「アリ」などといっている中にひとり、「いい若い者がくだらないものを怖がるとは情けない、世の中に怖いものなぞあるものか」とうそぶくのが、普段から、飲み屋の割り前は払わない、けんかは強いからかなわない、という嫌われ者の「松」)

「青大将が怖い? 笑わせやがら、おれなんざ、青大将をきゅっきゅっとしごいて、鉢巻してかっぽれ踊ってやらぁ。クモが怖いだぁ? 何をいってやがんでぇ、おれなんかクモを2,3びきつかまえてきて、納豆なんかにたたっこんで、かきまわしてみろ、納豆が糸ひいてうめぇのうまくねぇの。誰だ、アリが怖ぇっていったの? アリなんざ、赤飯を食うときにゴマの代わりにパラパラとかけて…、もっともアリがかけだして食いにくいが…」

「松、お前ぐらい世の中でつきあいのない奴はいねぇな、みんな怖いものがあるってんだから、たとえ怖いものがないにしろ、何かひとつ怖いものをいってみろよ」「無いよ、おらぁ」「わかったよ、おまえの強えってことは。そんなこといわねぇで、なんか考えてみねぇな」「考えたって、ねぇものはねぇ」「わからない男だな、なんか一つぐらい…」「無いったらねぇ、お前はしつこいからいやだよ。せっかくおれが思い出すめぇと、一生懸命骨おってるときに、しつこく聞きやがって…、ああとうとう思い出しちまった」

「何だ」「いや、これだけはいえねぇ、思い出すだけでゾッとする」「よせよ、なぁ、愛嬌じゃねぇか、みんなが怖いものをいったんだ、怖いのは何だ」「そりゃ、いってもいいけど、お前たちは笑うだろう?」「笑わないよ」「ほんとうに笑わねぇか? じゃいうけど、じつは、おれの怖いのは、饅頭っ」「まんじゅう? 中にアンの入った、むしゃむしゃ食う、あの饅頭かい? あれが? おまえが怖い? ハハハハ…」

「みろ、笑ったじゃねぇか」「へーえ、わからないもんだ、じゃ何かい? 往来なんか歩いていて、ぼっぽと湯気のたっている饅頭屋の前を通るときは、困るだろう」「困るのなんのって、もうたまらねえから、目つぶって逃げ出すんだ。よく法事で饅頭の配りもんなんかに出っくわすが、あのなかに饅頭が入っているなと思うだけでゾッとするね。ああ、話してるうちに、なんだか気持ちが悪くなって、寒気がしてきやがった、アア……」

「いけねぇ、顔色が悪くなってきたよ、医者呼んでこようか」「いや、それほどでもねぇ、ちょっと横になってりゃ大丈夫だ」「それじゃ、そっちの三畳間で少しの間、休んでいろよ。戸棚に布団があるから勝手に出してもらって、この唐紙を閉めておくが、気分が悪くなったら、遠慮なく声をかけておくれ」「ああ、ありがと、じゃそうさせてもらうよ」

(そこで一同、松をひどい目に会わせてやろうと、計略を練ります。話を聞いてさえあんなに震えるんだから、実物を見たらきっとひっくり返っちまうかもしれない、「アン殺」だというわけで、菓子屋から山のように饅頭を買って、松の枕元に置きました)

「松兄ぃ、おい松、起きねぇか」「うっ、あっあっー、あいよ。少しトロトロしたら、起こしやがったな…、あっ、うっうっ…ま、饅頭ぅ」「フッフッフ、あん畜生、泡吹いて怖がってら……」

「畜生、おれが怖がってる饅頭をこんなに買ってきやがったな…、ああ、葛・饅頭か、これは怖いや(とほおばる)、うう、怖い、唐・饅頭、うう怖い(と食べる) 、うう怖い、栗饅だ、怖い…」

「あれっ、饅頭食ってるぜ」「こん畜生、いっぺえ食わされた。懐ん中に入れたり、たもとへ入れたりしてやがる。この野郎、てめぇ饅頭食ってやがるじゃねぇか。お前ぇの本当に怖いのは何だ?」

「へへへ、あとは、熱いお茶が怖い」


「1月18日にあった主なできごと」

1467年 応仁の乱…室町幕府の執権を交代で行なっていた斯波、細川と並ぶ三管領の一つである畠山家では、政長と義就のふたりが跡目争いをしていました。この日、義就の軍が政長の軍を襲い、京の町を灰にした11年にも及ぶ「応仁の乱」のはじまりとなりました。将軍 足利義政 の弟義視と、子の義尚の相続争い、幕府の実権を握ろうとする細川勝元と山名宗全、それぞれを支援する全国の守護大名が入り乱れる内乱となっていきました。

1657年 明暦の大火…この日の大火事で、江戸城の天守閣をはじめ江戸市街の6割以上が焼け、10万8千人が焼死しました。本郷にある寺で振袖供養の最中に、振袖を火の中に投げこんだ瞬間におきた突風で火が広がったことから「振袖火事」ともいわれています。

1689年 モンテスキュー誕生…『法の精神』を著したフランスの法学者・啓蒙思想家で、司法・行政・立法という政治の三権分立をとなえ、アメリカ憲法や「フランス革命」に大きな影響を与えたモンテスキューが生まれました。

1882年 ミルン誕生…「くまのプーさん」シリーズを著したイギリスの童話作家・劇作家・エッセイストのミルンが生まれました。

1919年 パリ(ベルサイユ)講和会議…第1次世界大戦後の講和会議が、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本の5か国が参加してパリで開催されました。講和条約の調印式がベルサイユ宮殿で行われたことから、ベルサイユ会議とも呼ばれています。この条約により国際連盟が成立することになりました。また莫大な賠償金を強いられたドイツは経済破綻をおこし、ナチス党がおこるきっかけとなりました。

投稿日:2011年01月18日(火) 07:52

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)