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「推理小説の祖」 エドガー・アラン・ポー

今日1月19日は、『アッシャー家の崩壊』『黒猫』『モルグ街の殺人』など、恐怖や暗号などを駆使して開明的な推理小説を著したことで知られるアメリカの作家エドガー・アラン・ポーが、1809年に生まれた日です。

旅芸人の両親のあいだにボストンに生まれたポーは、生まれた直後に両親を失ってしまいました。みなし子になって、アランという商人の家に引き取られて、幼少期の一時期をロンドンで過ごしました。

1826年にバージニア大学へ入学しましたが、恋人との婚約に失敗したり、放蕩の末に大きな借金をかかえて10か月後に退学せざるをえませんでした。養父と不和になって家出をし、1830年に陸軍士官学校に入学しましたが、ここでもなまけて放校になり、アラン家との縁も切れ、ボルチモアに住むおばの家に転がりこみました。文学をめざして、詩集を3冊自費出版しましたが、ほとんど売れなかったため、小説を書くようになりました。

1833年、雑誌の懸賞小説に応募したところ当選し、作家として活動を始めることができるようになりました。あちこちの雑誌編集者として勤務するようになりますが、酒乱を理由に職を失い、貧しさに苦しみながら各地を転々とするようになります。しかし、創作面では代表作となる作品を次々に著しました。恐怖小説『アッシャー家の崩壊』を含む短編集『グロテスクでアラベスクな物語』(1839年)や『黒猫』を含む短編集『物語』(1843年)、初の推理小説といわれる『モルグ街の殺人』(1841年・天才探偵デュパンが人間以外の動物が犯人であることを解明)、暗号小説の草分けとされる『黄金虫』(1843年)などの短編作品群、さらに物語詩『大がらす』(1845年)も評判になりました。

しかし1847年、妻でいとこのバージニアが、貧苦と結核の末に亡くなって、その悲しみを酒にまぎらわすうちに精神異常をきたし、1849年40歳のとき、ポー自身も謎めいた死をとげたのでした。

ポーの作品は、本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによる翻訳は、フランスでブームをひきおこしました。ポーが『モルグ街の殺人事件』で作り出した探偵デュパンは、後の推理小説にある「探偵」の原型となっています。また、日本の推理作家で『怪人二十面相』『少年探偵団』を著した江戸川乱歩の名は、ポーに由来していることは、よく知られています。

なお、インターネット図書館「青空文庫」では、ポーの作品『アッシャー家の崩壊』『黒猫』『モルグ街の殺人』(共に佐々木直次郎訳)など、12作品を読むことができます。


「1月19日にあった主なできごと」

1736年 ワット誕生…18世紀末頃からイギリスにおこった産業革命の原動力ともいえる、蒸気機関の改良をおしすすめた ワット が生まれました。

1839年 セザンヌ誕生…ゴッホ、ゴーガンと並ぶ後期印象派の巨匠、20世紀絵画の祖といわれる画家 セザンヌ が生まれました。

1862年 森鴎外誕生…安寿と厨子王の美しい愛情をえがいた『山椒太夫』、安楽死させた罪に問題をなげかけた『高瀬舟』、ドイツで交際した女性をモデルした『舞姫』など数々の名作を著した文豪 森鴎外 が生まれました。

1899年 勝海舟死去…江戸幕府末期の開明的な幕臣として 坂本竜馬 ら幕末の志士を教育したり、咸臨丸で日本人だけの太平洋横断を指揮したほか、幕府側代表として西郷隆盛と会見し江戸無血開城を実現させた 勝海舟 が亡くなりました。

1969年 東大安田講堂の封鎖解除…全共闘の学生によって、半年前から占拠されていた東大安田講堂へ、8500人の機動隊が前日から出動。2日間35時間にわたる激しい攻防の末、封鎖が解除されました。

投稿日:2011年01月19日(水) 07:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)