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時そば

「おもしろ古典落語」の2回目は、これまた人気の高い落語のひとつ『時そば』というばかばかしい「お笑い」を一席。

「夜鷹そば」とも呼ばれた、屋台の二八そば屋へ、冬の寒い夜に飛びこんできた男がいます。「おうッ、何ができる? 花巻にしっぽく? しっぽく、ひとつこしらいてくんねえ。どうだい、寒いじゃねぇか」「今夜はたいへんお寒うございます」「どうでぇ商売は? いけねぇか? まあ、あきねぇってぐらいだから、飽きずにやんなきゃいけねぇ」「ありがとうございます。親方、うまいことおっしゃいますなぁ」

「おめぇんとこの看板がいいねぇ。的に矢が当たって[あたり屋]。縁起をかつぐわけじゃねぇが、おれぁこれから、友だち7,8人集まって、ガラッポーンっと、こんなことしようってんだ。その前に[あたり屋]へ出っくわしたなんざぁ、ありがたい。今夜おれぇ行って思い切り当っちゃおうと思ってね。そばが好きだから、この看板見たらまた来るぜ」「ありがとうございます。…親方、お待ちどうさま」

「よう、早ぇじゃねぇかそば屋さん、気がきいてるね。江戸っ子は気が短けぇからねぇ。出るのが遅ぇと、うめぇもんがまずくなる。しまいにゃ食いたくなくなっちまう。(箸を手にして) えらいっ、感心に割り箸を使ってる。割ってある箸は誰が使ったかわからなくって、心持ちが悪くっていけねぇ。(口にくわえてパチンと割って) いい丼[どんぶり]だね、世辞をいうわけじゃねぇが、ものは器で食わせるってねぇ、中味が少しっくらいまずくたって、入れ物がきれいなら、うまく食えるじゃねぇか…(つぅーと汁を飲んで) 鰹節をおごったねぇ、夜鷹そばってぇものぁ、塩っ辛ぇもんだが、なかなかこういうふうにね、だしをとるのがむずかしい。(そばをつまみあげて) そば屋さん、おめぇといきあいてぇな、太いそばなんざぁ、食いたくねぇや、めしの代わりにそばを食うんじゃねぇからね。そばは細いほうがいい、うっ、いいそばだね、腰が強くってぽきぽきしてやがらぁ、近頃ぁこのくらいのそばに出あわねぇな。うん、いいそばだ…。(竹輪をつまみあげて) 厚く切ったねぇ、竹輪を。薄い竹輪なんざ食った気がしねぇ、歯の間に入るとそれでおしまい。こう厚く切ってくれるとうれしいなぁ、うまい。(ふぅふぅ吹きながら、おいしそうに食べ、しまいに残った汁まで飲み干す) あ、うまかった。もう一杯お代わりといいてぇんだか、じつはよそで、まずいそば食っちまって、おめぇのを口直しにやったんだ、すまねぇ」「結構でございます」

「いくらだい?」「16文いただきます」「小銭だぁ、間違ぇるといけねぇな、勘定してやろう(懐に手を入れて) 手ぇ出してくんねぇ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい? 」「へぇ、九つで」「十(とう)、11、12、13、14、15、16」と、勘定を払っていってしまいます。

(これを陰から見ていたのがボーっとした男。「あんちきしょう、よくしゃべりゃがったな。はなからしまいまで世辞ぃ使ってやがら。てやんでぇ。値段聞くこたぁねぇ、十六文と決まってるじゃねぇか。それにしても、変なところで時を聞きやがったな、あれじゃあ間違えちまう」と、何回も指を折って「七つ八つ、今、何どきだい? 七つ八つ、何どきだい? 九つ」とやったな。「ああ…、少なく間違ぇやがった。何どきだい? 九つ、ここで一文かすりゃあがったんだ。うーん、うめえことやったな」と自分もやってみたくなって、翌日早い時刻にそば屋をつかまえます)

「寒いねえ」「へえ、今夜はだいぶ暖かで」「ああ、そうだ。寒いのはゆんべだ。どうでぇ商売は? おかげさまで? 逆らうね。的に矢が…当たってねぇ。どうでもいいけど、そばが遅いねぇ。まあ、オレは気が長ぇからいいや。おっ、感心に割り箸を…割ってあるね。いい丼…まんべんなく欠けてるよ。これじゃのこぎりに使えらぁ。鰹節をおごって…ブァっ、塩っからい、湯うめてくれ。そばは…太いね。こりゃ、うどんかい? まあ、食いでがあっていいや。ずいぶんグチャグチャしてるね。こなれがよくっていいか。竹輪は厚くって…おめえんとこ、竹輪使ってあんの? 使ってます? ありゃ、薄いね、こりゃ。丼にひっついてわかんなかったよ。月が透けて見えらぁ。オレ、もうよすよ。いくらだい?」

「十六文で」「小銭だぁ、間違ぇるといけねぇ、手を出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい?」「四つで」

「五つ六つ七つ八つ……」


「注」……冬の夜の「九つ」は、午前0時〜2時。江戸時代の時刻は夕方六ツから、およそ2時間ごとに五四九八七、あけ方から六五四九八七とくり返します。後のボーっとした男が現れたのは「四ツ」で、夜の10時〜0時、4文も余計に払ったことになります。


「1月20日にあった主なできごと」

1875年 ミレー死去…『晩鐘』や『落ち穂ひろい』などの名画で、ふるくから日本人に親しまれているフランスの画家 ミレー が亡くなりました。

1926年 ダイヤル式自動電話の設置…日本で初めてダイヤル式自動電話機が、東京・京橋電話局に設置されました。それまでの電話は、電話交換手に相手先を伝えて、接続してもらっていました。

1936年 救急車登場…警視庁消防部が東京都内に救急車6台を配備して、救急業務を開始しました。呼び出しの119番もこの時から始まりました。

1947年 学校給食…太平洋戦争後の食糧難で栄養失調となる児童を救うため、アメリカの慈善団体ララ(アジア救済連盟)から贈られた脱脂粉乳などの物資をもとに、全国主要都市の小学生およそ300万人に学校給食がはじまりました。

投稿日:2011年01月20日(木) 07:53

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)