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お岩のたたり

たまには子どもと添い寝をしながら、こんなお話を聞かせてあげましょう。 [おもしろ民話集 56]

今夜は「四谷怪談」といわれる、こわ〜いお話。これを聞けば、暑い夜も少しは涼しくなるかな ?

今の東京が、江戸といわれていた頃、江戸四谷左門町(さもんちょう)に、田村 伊右衛門(いえもん)という侍がいて、お岩というひとり娘がありました。気の毒にもお岩は、3歳のときに母親を亡くし、5歳の時に疱瘡(ほうそう)という病気にかかって、みにくいあばた顔になってしまいました。

そのため、年頃になってもお婿さんになってくれる人がありません。病にふせた父親は、娘をあわれに思い、知り合いの人に婿(むこ)さがしを頼みました。まもなく、知人は一人の浪人を連れてきました。浪人というのは、殿様のいない侍のことです。貧乏暮しにいやけがさした浪人は、ひどい顔のお岩でも、婿になっていいといったのです。

婿は父親によく仕え、お岩も大切にしました。そして父親が亡くなってからは、父親の名前と同じ「伊右衛門」を名のり、まじめに働いて田村家のあとをしっかり守りました。おかげで、殿様の役所の上役たちにも大変好かれました。

特別に目をかけて、家へもよく招いてくれる上役に、伊藤 瀬左衛門(せざえもん)という人がいました。そして何度も伊藤家に招かれているうちに、伊右衛門はその屋敷にいる美人のお琴が好きになりました。お琴も、まじめで男らしい伊右衛門が好きになっていました。でも伊右衛門は、もしお岩と別れたら、もとの貧乏な浪人にもどらなければなりません。恋しい女と一緒になれない伊右衛門は、みにくい顔のお岩が嫌でたまらなくなりました。そしてそのうちに、家財を売りとばしては酒を飲み、仕事もさぼるようになってきたのです。困ったお岩は、瀬左衛門のところへ相談に行きました。

ところが、伊右衛門とお琴の関係を知っていた瀬左衛門は、可愛がっている伊右衛門とお琴をいっしょにしてやろうと思い、お岩に「いったんどこかに身をかくしていなさい。伊右衛門によくいい聞かせて改心させた後、きっと迎えにやらせるから」といいました。お岩は瀬左衛門の言葉をありがたく聞いて、さっそく遠くの侍屋敷に女中として出ました。喜んだ伊右衛門は「お岩はわしを捨てて、どこかへ行ってしまった」といいふらし、堂々とお琴と夫婦になったのです。

伊右衛門が迎えに来る日を楽しみに待っていたお岩でしたが、何年たってもは迎えに来てくれません。そんなある日のこと。お岩のいる侍屋敷へ、以前、お岩の家にも出入りしていた、茂助というたばこ売りがやって来ました。茂助は、お岩に伊右衛門の様子を聞かれて、いいにくそうに、新しい奥さんのこと、子どもが生まれたことを話しました。

それを聞いたお岩は、みるみる青ざめて「うらめしや、よくも私をだましたのね!」と、素足のまま飛び出していきました。茂助は、あわててお岩を追いかけましたが見失ってしまい、行方知れずになってしまいました。

ところがそれからというもの、伊右衛門のまわりにつぎつぎと奇怪なことがおこりました。伊右衛門とお琴が寝ていると、お岩の幽霊がやって来て、恨めしそうにじっと見つめているのです。伊右衛門は、刀を抜いてお岩を斬りつけましたが、手ごたえがありません。やがて生まれた子どもは急に病気になり、そのまま苦しんで死んでしまいました。そしてお琴の美しい顔が、だんだんとお岩の顔のようになってきました。二人は恐くて怖くて夜も眠れません。とうとう頭が狂って相ついで死んでしまいました。さらにお岩をだました瀬左衛門もその家族も、お岩にのろい殺されてしまったのです。

それ以来、お岩の家の跡に住む人は、かならず原因不明の病気で死んでしまうので、たたりを恐れた人々は、家の跡にお稲荷さんを建ててお岩の供養をしました。おかげでようやく、お岩のたたりはなくなったということです。

投稿日:2009年07月28日(火) 09:11

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)