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1日3回以上ほめる

こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 86

道で会えば、いつもにっこり笑うようにして「こんにちは」とあいさつする女の子。ある日、その子の母親が、近所のおばあさんと雑談しているのが聞こえてきました。

「お宅のお嬢さん、とってもよくしつけができていますね。いつも感心してるんですよ。秘訣があったら教えてくれません?」

「秘訣なんて、わかりません。ただ、一つだけ守るようにしてることがあります。それは、子どもを必ず一日に3回はほめるようにしてることです。どんな小さなことでも、がんばったわね、よくできたわね、もうそんなことができるの…とか。それも、できるだけ、わーっ、よくやったね。お母さんもうれしいわ、握手しよう、なんて多少オーバー気味にいったりします。昼間、つい、ほめるのを忘れていたときは、夜、まとめて3つ以上ほめるんです。これで、子どもは安らかに眠りについてくれます。もちろん、叱るときは、厳しく叱ります。でも、叱られてふくれるようなことはなくなりました。いつもほめられているから、叱られることも抵抗なく受け入れてくれるのじゃないかしら。ほめる回数がふえれば、叱る回数が少なくなってきてるみたい。ガミガミいわないですめば、親としても気持ちがいいですからね」

この母親は、しつけのことがわからないどころか、一番大切なことがわかっているようです。

「9月3日にあった主なできごと」

1189年 当時奥州・平泉に藤原氏という豪族がいて、清衡、基衡、秀衡が3代100年にわたり強い勢力をほこっていました。源義経が兄頼朝におわれた時に、かくまったのが秀衡です。秀衡は、1187年義経を守るよう遺言して死にましたが、その子泰衡は遺言にそむいて義経を殺しました。しかし、この日頼朝の軍に泰衡は破れ、藤原氏は滅びました。国宝に指定されている中尊寺・金色堂は清衡、基衡、秀衡3代の墓所で、それぞれのミイラが残されています。江戸時代の俳人松尾芭蕉の「夏草や 兵(つわもの)どもの 夢のあと」という有名な句は、平泉周辺を旅したときに創りました。

1858年 6月に日米通商条約に調印した江戸幕府は、オランダ、ロシア、イギリスについで、この日フランスとも通商条約を結びました。

1977年 巨人軍の王貞治(現ソフトバンク監督)が、通産756本のホームランを打ってアメリカ大リーグのハンク・アーロンの755号の記録を破り世界最高記録(大リーグでは参考記録)を更新、2日後に初の国民栄誉賞を受賞しました。なお、現役引退までの王の通算本塁打数は868本。

投稿日:2008年09月03日(水) 09:27

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)