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近代オリンピックの父クーベルタン

今日9月2日は、フランスの教育者で、イギリス留学中にスポーツの重要性を認識し、古代オリンピア遺跡の発掘に刺激されてオリンピックの復活を提唱、1896年ギリシアのアテネで近代オリンピックの開催を実現したクーベルタン男爵が、1937年になくなった日です。

古代ギリシアのオリンピアで、およそ1000年にわたって行なわれた古代オリンピックは、393年の293回を最後にすがたを消してしまいました。それから約1500年ののち、このスポーツの祭典にふたたび火をともしたのがクーベルタンです。

1863年、フランスの貴族の家に生まれたピエール・ド・クーベルタンは、小学校を卒業すると、軍人になるために陸軍幼年学校へすすみました。しかし、戦いで勝っても、ほんとうの平和は生まれないとさとり、15歳のときに退学してしまいました。

「強い心の人間を育てるためには、学校の教育がたいせつだ」

教育者になる道を選んだクーベルタンは、イギリスに留学して、スポーツをたいせつにしている教育に心をひかれました。

「教育に、もっとスポーツをとりいれよう!」

フランスへとんで帰ったクーベルタンは、さっそく、学校の体育を盛んにする活動を始めました。すばらしいニュースを耳にしたのは、このころでした。ギリシアのオリンピアの遺跡が発掘されたというのです。

「そうだ、オリンピックを復興させればよいではないか」

クーベルタンは、まずアメリカやイギリスへ行き、自分の考えを説いてまわりました。そしてフランスへもどると「オリンピック復興についての会議」をパリで開くことに決め、世界の学者や政治家に案内状をだしました。反対したり、じゃまをしたりする人もいましたが、クーベルタンはくじけませんでした。1894年6月23日、みごとに会議は開かれ、12か国から集まった人びと全員の賛成で、オリンピック復興が決まりました。

「スポーツで、世界が1つになる日がくるぞ」

長いあいだ夢に描いていたことが、やっと実現します。31歳のクーベルタンは、からだじゅうが熱くなるような思いでした。第1回の近代オリンピック大会は、1896年、ギリシアのアテネで開かれました。それからは4年に1度ずつ、スポーツを愛する世界の若者が、人種をこえ、国境を越えて技をきそうようになりました。

世界の5つの大陸を結ぶ願いを表わしている5輪の旗は、クーベルタン自身が考えたものです。オリンピックの父とよばれたクーベルタンは、1937年、74歳でスポーツにささげた一生を終えました。
 
「たいせつなのは、勝つことより参加することだ」という言葉を愛したクーベルタンの心臓は、ギリシアのオリンピアの丘の上にうめられ、世界の平和を見守っています。

以上は、いずみ書房「せかい伝記図書館」(オンラインブックで「伝記」を公開中) 14巻「エジソン・ゴッホ・シートン」の後半に収録されている14名の「小伝」から引用しました。近日中に、300余名の「小伝」を公開する予定です。

「9月2日にあった主なできごと」

BC31年 シーザーの暗殺後、ローマはオクタビアヌスとアントニウスと権力争いが始まっていました。この日アクチュームの海戦がおこり、両軍1000隻の軍船が槍、火矢、投石で交戦し、オクタビアヌスが勝利しました。アントニウスはクレオパトラと共にエジプトにもどりましたが、翌年アントニウスは剣で、クレオパトラは毒蛇に胸を咬ませて自殺しました。詳細は 8月12日のブログ を参照ください。

1945年 東京湾上に浮かんだアメリカの軍艦ミズリー号の艦上で、連合国側に対する日本の降伏文書の調印式が行なわれました。日本全権団は重光外相他11名、連合国軍は9か国それぞれの代表とマッカーサー最高司令官が署名し、ここに満州事変から15年にわたる日本の戦争に終止符がうたれました。

1949年 タイから寄贈された象が日本に到着、戦争中に餓死させられた象「花子」の名前を継いで「はな子」と命名されました。はな子は、1950年に始まった上野動物園の「移動動物園」企画で全国や東京都下を巡回しましたが、武蔵野市や三鷹市ではな子の誘致運動が起こり、1954年に上野動物園から井の頭自然文化園に引っ越しました。61歳の今も健在です。

投稿日:2008年09月02日(火) 09:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)