こうすれば子どもはしっかり育つ「良い子の育てかた」 51
郊外へ向かう電車の中でのことです。座席に5歳くらいの男の子と、まだ若い父親、母親が腰かけていましたが、その男の子が、ふと 「う、う、う、うんち」 と言って、ふふふと笑いだしました。窓外に見えた 「うどん」 と書いた看板の 「う」 の字だけが読めて 「うんち」 となってしまったようです。
すると、母親が 「こんなところでうんちなどと言ってはだめ」 と、たしなめました。ところが、父親が平然と子どもに応じるように 「うんちか」 と言いだして、母親が 「あなた、そんな話やめてください」 と言うのもかまわず話はどんどん発展していきました。
「おまえ、毎日、うんち、ちゃんとでるか?」 「うん、でるよ」 「うんとでるか?」 「ちょびっとのときもあるけど、だいたい、うんとでるよ」 「そうか、それはいい」 「お父さんは?」 「うんとでるぞ」 「よかったね」 「うんちといえばなあ、アフリカでは動物のうんちをたくさん集めてきて、うんちの家をつくるところがあるんだぞ」 「ふーん、くさくないの?」 「少しくらいくさいかもしれないなあ。モンゴルというところでは、ひつじのうんちを燃やして、食べものを煮たり部屋をあったかくしたりするのだぞ」 「うんちでごはんたくの?」 「そうだよ」 「ごはん、くさくならない?」 「どうかなあ、少しくさくなるかもしれないなあ」……。
父親の話は、このあと、アフリカの人びとやモンゴルに生きる人びとの厳しい生活の話に移っていきました。父親は、子どもの 「うんち」 の一言を巧みにとらえて、子どもをしぜんに広い世界へみちびいていったのです。
最後には 「うんちの話なんか」 と言っていた母親も笑顔で聞き入っていた父と子の会話。この親子3人の心の通いあったあたたかい姿は全くすばらしいものでした。
「あんなに心の大きい父親をもってあの男の子は幸せだ」 と思ったのは、おそらく、まわりの乗客みんなだったに違いありません。