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ベラスケス 「ラス・メニーナス」(女官たち)

私の好きな名画・気になる名画 1

スペインの首都マドリッドに「プラド美術館」があります。「ラス・メニーナス」(女官たち)は、たくさんある大作の中でもひときわ大きな作品(3.18m×2.76m)です。はじめてこの絵に対面したのは、昨日記した通り、1987年の海外旅行の時でした。当時はまだ、旅行会社が主催する添乗員の同行してくれるツァーというものがなく、いずみ書房の営業コンテストで優秀な成績を残してくれた人たち7名を連れて、私が添乗員的役割を担ったはじめての海外旅行でした。その悪戦苦闘の旅行のてんまつにつきましては、後日稿を改めて記述することにします。

私がこの作品に出合った時は、ベラスケスの代表作という程度の知識で、詳しい背景をあまり知りませんでした。でも、見た瞬間、何と不思議な絵だろうという強い印象を受けたことは事実です。この絵を描いたベラスケスが左端にいて、真ん中に少女とお付の若い2人の美女、右には中年の女性の何とも場違いな大きな顔、それでいて群像たちには何ともいえないあたたかさと調和があります。今から考えて見ますと、この絵との出会いが西欧美術の魅力にとりつかれた瞬間だったといえるかもしれません。

帰国後、いろいろな画集を買いこみ、たくさんの美術書を読んでみてわかったことは、この作品がベラスケスの代表作というだけでなく、美術史上でも記念碑的な作品だと知ってびっくりしました。それは、次のような理由からです。
まず、中央に立っている少女は5歳の王女マルガリータ。ベラスケスが、マルガリータの父親である国王フェリペ4世と、母親の皇后マリア・アンナを描いているアルカザル宮殿内の画室に、王女とそのお付の人たちが訪ねてきたところを描いたというめずらしい構図の絵なのです。王と皇后は画面の外、ちょうど私たちがこの絵を見ている位置にあって、その姿はマルガリータ王女の左上にある鏡に映っています。つまり、この絵は王様の位置から、王の目に映った光景を、絵を描いているベラスケスが描くという、じつに斬新な構図だということがわかります。

この絵のタイトルとなっている女官たちは、マルガリータ王女の左にいるマリア・アウグスティナ・サルミエントと右のイザベラ・デ・ベラスコ、さらに右にいる顔の大きな女性は小人の道化マリバルボラとお遊び相手の少年ニコラス・デ・ペルトゥーサ。ペルトゥーサは寝そべっている大きな犬の背中に足を乗せています。この人たちは、この絵のおかげで350年以上たった今も、名前までしっかり記録されているのは興味深いところです。さらに後ろの方に付き添いの老女と廷臣が話していて、ずっと遠くにいる廷臣が、扉を開いて光を入れている様子まで、まるでスナップ写真のように、ごく自然な日常の一瞬として見事に、そして的確に描かれています。これが、ベラスケスの天才といわれるゆえんなのでしょう。

ここに描かれているマルガリータ王女は、15歳の時神聖ローマ帝国(オーストリア)のレオポルド1世に嫁ぎ、21歳の若さで死去しています。ベラスケスはマルガリータの3歳から8歳までの肖像画を3枚描き、見合い写真がわりにウィーンに送られました。これらの3枚とも名画の誉れ高く、「ウィーン美術史美術館」の目玉になっています。
そのためかこの絵は、ベラスケスがマルガリータ王女を描いている時に、国王夫妻が部屋にはいってきた瞬間を描いたという説もありますが、王宮内の生活のひとこまを描いたということで、どちらでもよいのかもしれません。

2003年10月、私はこの絵と16年ぶりに再会しました。阪急交通社主催の「スペイン大周遊」というツァーに、肺がんを再発した妻を連れ、兄夫妻と4人で参加しました。万一ツァーを途中で離脱せねばならない最悪の事態に備え、メキシコに7年半暮らしたことのある、スペイン語の堪能な兄夫妻がいっしょなら心強いと思ったからでしたが、なんとか8日間を持ちこたえることができました。
私たちは、「プラド美術館」をじっくり時間をかけて鑑賞したいため、マドリッド郊外にあるドンキホーテに出てくるような「風車見学」をキャンセルし、ツァーとは別行動をとりました。私は妻を車イスに乗せ、たくさんの名画を堪能しました。そしてなつかしいこの絵の前に立ちました。妻は私の解説に大きくうなずき「いい絵だね。この中で一番好き」とつぶやいたのを思い出します。それから1年も経たずに亡くなってしまいましたが、この絵を見せてあげたことは良かったと今も思っています。

投稿日:2007年08月23日(木) 10:05

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)