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ワールド図書館(7) 「オランダ・ベルギー・デンマーク」巻末解説

前日(3/27号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第7巻「オランダ・ベルギー・デンマーク」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。

「オランダ・ベルギー・デンマーク」 について

[オランダ] オランダは海面より低い土地が国土の1/4、5m以下の低地が3/5も占めています。堤防を間にはさんで水面のほうが地面より高いという光景が、随所に見られます。オランダ人は、堤防を築き、運河を通し、排水をして海面下の土地を海から守り、干拓して耕地と化しました。干拓地をポルダーといいますが、15世紀から今日までに造成したポルダーは、全国土の1/3に及び、現在も、アイセル湖の大干拓工事をすすめています。
ところで、オランダというのは国名ではなく、中心部の州名にすぎません。公式にはネーデルラント王国といい、低い国という意味です。日本でオランダと呼ばれるのは、1543年に種子島へ鉄砲を持ちこんだポルトガル人の紹介によるものといわれています。
日本とオランダの結びつきは、1600年、オランダ船が豊後に漂着したときからです。乗り組んでいたウイリアム・アダムス (三浦按針) が徳川家康に謁見したのが端緒となって、1609年、オランダ東インド会社の支店が長崎の平戸 (後、出島に移転) に設立されました。
オランダが東インド会社を創設したのは1602年です。発達した商船隊を組織してアジアに進出し、列強国スペイン、ポルトガルをおしのけ、完全に世界第1の商業国にのしあがりました。その中心が植民地の東インドで、強大な軍事力をバックに、香料、織物類の貿易を独占し17世紀の黄金時代をつくりあげました。しかし、18世紀の産業革命で経済力や軍事力が増大したイギリスに地位を奪われ、第2次世界大戦後インドネシア独立によって植民地の東インドも失いました。
干拓で土地をふやし、酪農を中心に完ぺきなまでに生産性を高めてきましたが、天然資源が乏しいため、オランダ経済のあり方は、根本的には中継加工貿易が大原則です。アムステルダム、ロッテルダム両貿易港の貿易と外国企業誘致の拡大が、今後の課題です。

[ベルギー] ベルギーはヨーロッパの列強国に囲まれ、いくどか領地を侵略されながらも、河川や北海の海運を利用して栄えてきました。ベルギーが独立したのは1831年で、永世中立国を宣言しました。しかし第1・第2次世界大戦でドイツにふみにじられてからは、中立政策を放棄してNATO (北大西洋条約機構) に加盟し、アメリカとの間にグリーンランド共同防衛条約を交しました。
ベルギーとオランダ、ルクセンブルクの3国はそれぞれの頭文字をとってべネルクスと称し、関税同盟を結んでいます。この経済的統合の動きは1960年にEEC (欧州経済共同体)を生み、EC (欧州共同体) へと結実していきます。ECやNATOの本部があるブリュッセルは、ヨーロッパの経済、防衛の中心になっています。

[デンマーク] 現在のデンマークは、日本の九州くらいの広さしかありませんが、バイキング時代はノルウェーやスウェーデンにかけて統一部族国家を形成し、イギリスにまでも力を及ぼす大国でした。しかし19世紀に入ってナポレオン戦争などの戦いに敗れ、領土は1/3に削られました。荒れはてた国土と、グリーンランド、大西洋のフェロー諸島の領土が残っただけです。
そのころ、学者のグルントビグと軍人のダルカスが、国土の再建に立ちあがりました。グルントビグは国民の祖国愛をよびおこして国民高等学校設立へと運動を展開させ、ダルカスはデンマークヒース協会を作って土地改良と植林をすすめました。デンマークは、ふたりの努力と団結した農民の力で、酪農業を育成してめざましい発展をとげ、世界有数の模範的な酪農王国を築きました。
デンマークは社会保障制度の充実した国です。国民は、広い範囲で高レベルの社会福祉を享受しています。

補足事項
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーであったオランダ、ベルギー、ルクセンブルクのベネルックス3国は、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとして指導的役割をになっています。通貨も、2002年に、ユーロに完全に切り替わりました。ベルギーの首都ブリュッセルは、EUの本部、議会などがおかれ、ヨーロッパ連合の首都的な役割をになっています。デンマークはEUに加盟していますが、通貨はデンマーク・クローネのままです。

投稿日:2007年03月28日(水) 09:15

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)