前回(4/19号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第19巻「エジプト」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。
「エジプト」 について
エジプトは、メソポタミアとともに人類の文明発祥の地として知られています。その歴史の古さは、日本人が弥生式文化を持ちはじめたころより3000年もまえに、大都市をつくり、文化生活をしていたというのですからおどろきます。ピラミッドをはじめ、たくさんの大建築をのこし、すぐれた造船技術をもち、文字を発明し、さらに絵画や彫刻にすばらしい芸術性をみせているエジプト人は、よほどすぐれた民族だったのでしょう。
その社会は、強い権力をもった王を頂点に、王の一族、神官、地方の族長や書記、職人などの市民と、圧倒的に多い農民たちでつくられた王国でした。当時の人びとの心をしっかりとらえていた宗教は、太陽神信仰というもので、太陽神ラーがあり、王は死後、神になるという考えです。ですから、ピラミッドは大ぜいの農民の血と汗の上につくられたといっても、王が神と一体となる墓づくりに、わたし達が思いわずらうほどには、つらい仕事ではなかったのだろうといわれています。王は神なのですから、絶対の力をもって国を治めていたわけです。
エジプト王国には、紀元前3200年から、紀元前332年まで、31王朝があり、それぞれに強国として栄えた時代を、古王国、中王国、新王国時代とよんでいます。ピラミッド時代は、古王国で、アブ・シンベル大神殿やツタンカーメン王の時代は、新王国です。クレオパトラは、王朝がほろびてからのちにおこされた、プトレマイオス朝の女王で、エジプト王国もこれを最後に滅亡していったのです。いっぱんに王をさす名まえのファラオは、新王国時代の末にあらわれた呼び名ですから、歴史の上ではずいぶんあとになります。
古い国エジプトにはこのような歴史がありますが、現代のエジプトは、まだ新しい歩みをはじめたばかりの国です。アフリカ大陸のはしにあるエジプトは、地中海と紅海をはさんで、アフリカ、ヨーロッパ、アラビアがあわさる地点にあたります。このため、外国からの侵略を受けやすく、クレオパトラ以来、独立国にはなれませんでした。なかでも、アラビア人による支配はながくて、それだけ影響もうけやすく、中世には、イスラム教化されました。また、スエズ運河が、紅海をとおってインド洋と結ばれるという貿易上のことから、ヨーロッパ側の進出もはげしく、つい60年まえまで、イギリスの植民地となっていました。
エジプトは、1922年に独立したばかりの国です。長い間のたびたびの占領で、国の力が弱まっているところにナセル大統領 (1918〜70年) が中心になって、革命がおこりました。1956年に、エジプト共和国が成立し、新しい指導者をえて、国民の生活は、少しずつ変わってきました。ナセル大統領は社会主義という考え方のもとに、社会のしくみをかえて、国民の生活をよくしようと努力しました。いまもむかしも、エジプトをつくってきたのは、おおぜいの農民や、労働者です。古くは王のため、そして富んだ人のため、あまりいいめにあわなかった人びとにも権利と自由が平等にあたえられることになりました。ナセル大統領は亡くなりましたが、政策は、次の指導者に受けつがれて、新しい力のある国として、世界に認められています。雨が降らないということは、とてもきびしい自然をつくります。そのなかで、変わらずに親切な川ナイルとともに、エジプトはよりゆたかな国へと進んでいます。
補足事項
ナセル大統領の後をついだサダト大統領は、社会主義経済政策をとり、イスラエルと融和する政策をとりましたが、イスラム主義の抵抗にあって1981年暗殺されてしまいました。かわったムバラク大統領は、対米協調とイスラム主義運動を抑えながら独裁を続け、20年以上も政権を維持しています。