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ワールド図書館(11) 「中国 (1)」 巻末解説

前日(4/2号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第11巻「中国(1)」の巻末解説(一部改訂)を記します。なお、第10巻「東ヨーロッパ」は、2月19日、20日号に記しましたので省略します。

「中国(1)」について

中国の正式な国名は、中華人民共和国です。世界第3位の広い国土に、おおくの少数民族をふくむ、13億以上の人たちが暮らしています。世界一の人口をかかえ5000年もの歴史をもつ国です。
いまから95年ほど前まで清王朝が支配していました。そのころ、ヨーロッパの経済は、日ましに進歩し、アジアへ植民地の手をのばしはじめました。19世紀に入ると、インドを征服したイギリスが、まっ先に、中国に貿易の手をひろげました。
イギリスは中国の茶を買い、代りにインドでケシを栽培してつくった麻薬のアヘンを売りこみました。清国がこれを防ごうとしたため、1840年、アヘン戦争が起こりましたが、イギリスの近代兵器のまえに、もろくも敗れて香港を失い、上海、広州などを貿易港としてひらきました。
清国の弱体ぶりが暴露されると、アメリカやフランスもイギリスにみならい、不平等条約を強要しました。侵略者に対する中国民衆の怒りが高まり、洪秀全が内乱を起こし、太平天国を建設しましたが、失敗におわりました。
19世紀後半になると、中国への侵略はますますひどくなりました。日本も侵略国の仲間に入り、1894年に日清戦争が起きましたが、この戦争でも、清国はやぶれてしまいました。力の弱まった清国に、列国は資本主義、帝国主義の要求をつぎつぎに突きつけては、それをおしとおしました。
広州、上海、南京などの開港場に、中国の主権がおよばない租界をもうけ、そこに銀行、会社、工場をつくって、中国市場へ商品を流すいっぽう、農村から安い原料と安い労働力をあつめました。さらに、こうした搾取を強めるために、鉄道の敷設権を得て、沿線の鉱物資源を支配したり、貿易に関税をかけて中国の権利をうばいました。そればかりか、租界の治外法権を利用し、租界と権益を守る理由で軍隊をとどめたので、中国は列国の半植民地になってしまいました。
侵略の道具に利用された地主や官僚はともかく、ききんや揚子江、黄河、淮河の大洪水などに、苦しみつづけてきた中国の農民たちには、列国の侵略は二重の苦しみでした。これらの苦しみに加え、ふはいした役人や軍閥、地主の横暴にも農民たちは苦しんでいました。
大河の治水工事も、プランはできても、役人がその費用を自分たちのふところにしまいこんでしまうし、ききん地帯に送れる小麦やアワがあっても、軍閥の手でおさえられてしまう有様だったのです。 おまけに、2000年以上も遠いむかしから、封建的な地主たちが、中国の農村をわがものにしていました。わずか10パーセントにもみたない地主たちが、60パーセントから80パーセントもの広い土地をにぎり、小作農から作物の半分以上をまきあげていました。
やがて、義和団という、反帝国主義の大反乱が起きましたが、日本やイギリスをはじめとする8か国の連合軍に鎮圧されてしまいました。いっぽう、日本に戦争でまけたロシアでは、1905年に革命が起きました。大陸つづきの中国にも、いちはやく伝わり、中国革命の新しい芽ばえが生まれました。
祖国の危機を救おうと、革命団体を統一して立ちあがったのが孫文でした。彼は民族の独立をめざす 「民族平等」、人民の主権を認め、政治に参加させる 「民権主義」、民族資本を育て、経済上の不平等をなくし、生活の安定をはかる 「民生主義」 の三民主義をとなえ、1912年、中国革命軍をひきいて南京を占領、中華民国の成立を宣言しました。この革命が辛亥革命とよばれるものです。
清朝はほろびましたが、実権は軍閥がにぎりました。しかし、勢力あらそいがたえず、孫文は広州に独立政府をつくり、ソビエトとなかよくし、毛沢東らの共産党と協力する政策をとりましたが、革命が成功しないまま世を去りました。
孫文のあとをひきついだ蒋介石は、北伐軍をひきいて南京に国民政府をつくり、まもなく北京に入って中国全土に勢力をひろげました。蒋介石は第1次国内革命戦争 (北伐) に、中国共産党の協力で成功をおさめましたが、その同志をすてて、帝国主義諸国のきげんをとる政策に方向転換してしまいました。
中国に、本格的な思想運動がわき起こったのは、1914年にぼっ発した第1次世界大戦前後からです。『狂人日記』などの小説をつうじ、魯迅が権力盲従や旧思想の批判をおこなったころ、毛沢東や周恩来らも、それぞれ地方で結社をつくり、思想運動にとりくんでいました。
そうした運動は、まず北京大学の学生たちに受け入れられ、民衆の共同闘争に火をつけました。1919年5月4日におこなわれた北京大学生の 「五・四運動」 とよばれるデモは、上海はじめ、各地の労働者に強い影響を与えました。
労働者の大規模な波状ストライキは、パリ講和会議に出席していた北京代表に、不平等な講和条約をおもいとどまらせる、大きな力を発揮しました。革命は、目の前にありましたが、孫文の死後、180度政治をかえてしまった国民政府のために大きく後退し、以後約20年間にわたり、中国の国土は戦場と化してしまいました。
(以下、次回へ)

 

投稿日:2007年04月03日(火) 09:50

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)