前回(3/29号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第9巻「ギリシア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。
「ギリシア」 について
ヨーロッパの南東部、バルカン半島の南端にあるギリシアは、日本の北海道と九州をあわせたほどの広さで、山地や丘陵が80%を占める山国です。そして、「多島海」 と呼ばれるエーゲ海には、山脈が沈んでその山頂があらわれてできた無数の小さな島々うかんでいます。
そんな地理的な条件から、陸上交通はあまり発達しませんでしたが、本土の複雑なリアス式海岸により良港にめぐまれ、エーゲ海の島々とを結ぶ海上交通は古くから大いに発達しています。
二千数百年もむかし、ギリシアにはアテネを中心に輝かしい文化がおこりました。その頃のギリシアは、ポリスという小さな都市国家の寄り集まりでしたが、地中海沿岸に植民地をつくりながら発展させ、古代文明の花を咲かせました。そのもとになったのは、古くから文化の開けていたエジプトやメソポタミア (今のシリア、イラクの付近) 文明でした。古代ギリシアはそれを受けついで、より高く、後のヨーロッパ文明の基礎ともいうべきすばらしい文化を打ち立てたのです。
ソクラテス、プラトン、アリストテレスらの大哲学者の出現をはじめとして、おおらかで明快な美しさをもつ建築や彫刻群、さらに文学、天文学、航海術、スポーツなど、あらゆる人類の文化が、古代ギリシアの花園にいっせいに咲き誇ったのです。古代ギリシアの都市国家の間に戦争がおきないよう、オリンピアの神々の前で4年に1度スポーツのわざを競いあった古代オリンピックが、近代オリンピックのもとになったことは、よく知られています。ギリシアは、紀元前492〜前480年に力の強いペルシア軍に 3度も大遠征を受けました。でもギリシア軍は数は少なかったにもかかわらず、よく団結して、マラトンの戦いや、サラミスの海戦といわれる戦いに勝利しました。
優れた文化を持つばかりでなく、勇敢な民族でもあったギリシアでしたが、紀元前2世紀にはローマに滅ぼされ、その後も長く他民族の支配を受けました。15世紀末からはトルコに支配されるようになりました。しかし、さまざまな弾圧を受けながらも、ギリシア人たちは、信仰のほか商業と教育の自由を享受し、ギリシア国民としての誇りを保ちつづけていました。これが独立闘争の招来につながるわけです。そして1821年、イギリスの詩人バイロンが参加したことでも有名なギリシア独立戦争がおこり、イギリス、フランス、ロシアの力を得てトルコを敗り、1829年に独立しました。
その後、3国の保護のもとに王制になり、第1次世界大戦後は共和制になりました。その後もトルコとはいく度も戦いをくりかえし、また、ほかの大国の間にもはさまれて国情はなかなか安定しませんでした。そして、第2次大戦後はイギリスの支援を得て王制になりましたが、1973年には再び共和制になって現在に至っています。
ギリシアには、かんがいに適した大河もなく、典型的な地中海性気候のため、夏になると雨が降らず、乾燥してしまうので、土地はやせています。けれども暖かい気候を利用して、タバコ、オリーブなどの栽培や、ヒツジ、ヤギなどの牧畜を中心に、住民の半数以上が農業を営んでいます。耕地もせまいので農民のくらしは決して楽ではありません。
また、鉄や大理石などの鉱物資源は多いわりに重工業の開発があまり進んでいません。国の経済としては輸入が輸出の2倍以上となっているので、赤字を補うのは海運の収入と、膨大な歴史を背景とした観光収入ということになります。
しかし、近年は各国の援助により改革の気運が高まっているので、あの古代の輝かしい伝統を呼びさます日が再びやってくることも夢ではないかもしれません。
補足事項
ギリシアは1981年EC(ヨーロッパ共同体)の10番目の加盟国になりました。1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも指導的役割をにない、通貨も、2002年にユーロに完全に切り替わりました。2004年には2回目のアテネオリンピックが開催されました。