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ワールド図書館(23)「ソビエト(2)」巻末解説

前回(5/7号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第23巻「ソビエト(2)」 の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。 

「ソビエト(2)について

前巻にひきつづきソビエトの歴史の跡を、たどってみましょう。大成功だった第15か年計画についで、第25か年計画(193337)も予定より早い43か月で終わらせました。社会主義国家成立当時は、10年ももつまいとみくびられていたソビエト国家は、ここに至って社会主義経済を完全に軌道にのせ、世界の人々の目をみはらせました。このすばらしい発展の陰に、有名な「スタハノフ運動」がありました。
スタハノフというのは、1935年に新しい採炭方法を考えだした、ドンパスの炭坑夫の名です。合理的な方法でノルマの14倍もの増産に成功し、レーニン勲章を受けましたが、彼にならって多くの人たちが、ノルマの量をひきあげる運動をはじめました。この下からの大衆運動は、炭坑から工場へ、工場からコルホーズへとまたたく間にソビエトの全地域に広がり、第25か年計画を早める大きな力になりました。
1938年には、第35か年計画に入り、この計画は、進んだ資本主義国に追いつき追いこそうというものでした。しかし、そのころの社会情勢は、ドイツ、イタリア、日本で、ファシストや軍国主義者が政権をとり、社会主義国を敵視していたのです。レーニンの後をひきついだ指導者スターリンは、国外からのそんな圧迫に悩まされました。一方、国内に対してスターリンは、自分の指導力や功績を過信し、個人の自由や政治的発言をおさえつけ、少しでも方針に反する者があらわれると捕えたり銃殺したりしたのです。それは、その後のソビエト社会に暗いかげを投げかけました。
1939年、ヒトラーのナチス・ドイツの軍隊がポーランドに侵略を開始し、ここに第2次世界大戦がはじまったのです。そして1941年、ドイツ軍はソビエトに侵入して満4年にわたる防衛戦争がはじまりました。ソビエトは第35か年計画をすぐに軍需工業に切りかえて、国をあげて必死に戦い、ついに勝利をもたらしました。
しかし、勝利はしたものの深い痛手を負いました。死傷者1700万人、焼きはらわれた都市1700、破かいされた大工場32000など、おもな工業都市が廃虚に変わり、国民生活は壊滅状態におとしいれられたのです。
そのため、第45か年計画(194650)は戦災復興を主目的としました。この計画もやはり成功をおさめ、ソビエト国民の底力をみせつけました。この第4次計画の特筆すべきは、大規模な自然開発計画の開始です。これは、第55か年計画(195155)の中心テーマともなるものでしたが、中央アジアと周辺の不毛な乾燥地帯に運河を開き、植林することによって豊かな土地にかえ、世界的な大綿花地帯にかえたのです。さらに、ボルガ川とドン川を結ぶ101kmの運河を完成させ、カスピ海、黒海を結んだだけでなく、他の運河を通じて白海、バルト海とも連絡を可能にしました。この大自然改造は、アメリカ合衆国のTVAと並び称されるものです。
ところで、1956年から第65か年計画を進める途中で、計画を変更し、あらたに第77か年計画(195965)にとりかかりました。この計画変更は、ソビエトの戦後の歴史の上で特筆されることです。それは、ソビエトの国家姿勢や世界情勢と深くかかわるものなので、さかのぼって補足してみましょう。
2次世界大戦中、連合国として協力してきたアメリカ合衆国をはじめとする西欧諸国とソビエトとの関係は、戦争が終わると、たちまち冷却しはじめました。東ヨーロッパ諸国の社会主義化による西欧諸国の危機意識も高まって、戦後処理をめぐり利害対立はめだってきました。その対立は、東西ドイツを分裂させるなど「冷戦」という東西対決のきびしい状況を生みだしたのです。
しかし、1956年の党大会で、スターリンにつづく指導者であるフルシチョフがスターリンの行為を徹底的に批判し、資本主義体制との平和共存の路線を打ち出しました。それがいわゆる「雪どけ」時代のスタートでした。そして、5か年計画の練り直しも含め、新しい出発をはじめました。5か年計画は、その後も第8(196670)、第9(197175)、第10(197680)と続き、これらは農業や軽工業、特に消費財を重視して不足気味だった日用品や食料品の生産量をふやし、品質も向上させてきています。ただし、60年代に入ってからは、多様化する世界構造の変化の中で、初期のころのエネルギッシュな進展ぶりは失なわれ、経済成長率も次第に低下しているのが現状のようです。
しかし一方、宇宙開発の分野には大きなウエイトをおいています。1957年に世界最初の人工衛星を打ちあげて以来、宇宙船や、数限りない気象衛星の打ちあげ、世界最初の宇宙遊泳、月表面の軟着陸、最近では175日間という史上最長の宇宙滞在記録をつくるなど、人類の月着陸ではアメリカに先を越されましたが、アメリカと並んで、世界で最も宇宙開発の進んだ国といえます。しかし、裏をかえせば、科学の最先端をいく宇宙開発のためのロケットも、全人類を一瞬のうちにほろぼす力をもつだけに、それらが世界平和のためだけに使われてほしいことを願わずにはいられません。
ところで、ロシア革命までは、欧米諸国とは比較にならないほどにたち遅れていたソビエトが、わずか80年後の今日、アメリカにつぐ工業国として、また2つの世界の中心国として、世界の情勢を左右しているのです。資本主義社会に生きる私たちにとってみると、社会主義の国ソビエトには、理解しにくい部分が多くあるはずです。
この本によって、社会主義国の構造の一端なりを理解し、より深い究明への手がかりにしてほしいものです。

補足事項
このシリーズの初版が刊行されてから、25年以上が経過しましたが、この間の最大の変貌は、1991年のソビエト連邦(ソ連)崩壊と、東西ドイツの統一、ソビエトに事実上支配されていた東ヨーロッパ諸国の独立と民主化といってよいでしょう。それぞれは密接につながりあっており、その経過をやや詳しくたどってみることにしましょう。

[ペレストロイカ] 1985年、ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは、政治、経済、社会の改革を推進しました。この改革を「ペレストロイカ」とよんでいます。その背景に、ソ連国内の経済のいきづまりと、国民の共産党不信があり、その危機意識が、大改革をよぎなくさせたといってよいかもしれません。ペレストロイカは、憲法を改正し、共産党以外の政党をみとめ、大統領制を導入するところまで進んでいきました。1930年以降、共産党の一党独裁しか認めず、そのため共産党の命令を守らなかったり、批判したりすることは厳しく罰せられるという自由のない社会で、特権官僚が国を支配し、支配者に都合のよいことしか国民に知らされなかったのです。
ゴルバチョフは、国民の不信をなくすために、さまざまな情報をありのまま国民に知らせることからはじめました。これを、「グラスノスチ」といいます。その結果、ソ連社会内部の欠陥や矛盾が明らかにされ、共産党への批判はさらに強まり、ペレストロイカの徹底を求める国民の声は、東欧諸国までもまきこんで一挙に広まり、東欧諸国のどの国でも共産党の権威は失墜していきました。
ソ連は、19903月、臨時人民代議員大会をひらいて、国家元首を大統領にすること、共産党の一党独裁をやめること、個人の土地や財産の所有、経済活動を認めることなどを定めた新憲法を採択し、初代大統領にゴルバチョフを選びました。


[バルト3国] 本文にもふれましたが、バルト海に面しているエストニア、ラトビア、リトアニアをバルト3国と呼んでいます。帝政ロシアの時代にロシア領にされ、ロシア革命後の1918年にいったん独立しましたが、1940年にソ連に吸収されました。人種的にはエストニアはフィンランド、ラトビアとリストニアはポーランドに近く、生活水準もソ連の平均を大きくうわまわっていて、ロシア人を主体とする中央支配に強い反発心をもっていました。ゴルバチョフの掲げるペロストロイカやグラスノスチをきっかけに、これまでおさえられてきた民族感情が燃え上がり、ソ連から分離独立する運動を展開しはじめました。ソ連中央は、はじめのうちは話し合いによる解決をめざしていましたが、ペロストライカのいきづまりもあって、軍隊によるおさえこみをはじめました。そんな武力介入に対し、G7(英・米・独・仏・日・加・伊の7か国蔵相会議)がソ連に対して緊急援助を凍結するなど、世界中からの抗議行動がおこりました。


[独立国家共同体(CIS)] ソ連に劇的変化がおきたのは、19918月におきた保守派によるクーデターの失敗がきっかけでした。クーデター失敗後に解放されたゴルバチョフ大統領は、クーデターに反対しなかったソ連共産党中央委員会に対し、党を解散するよう求め、みずから党書記長職を辞任する意思を表明しました。これによって、ソ連共産党は事実上解散されることになりました。そして翌9月、ソ連国家評議会は、バルト3国の独立を承認する決議を採択し、バルト3国は51年ぶりに完全独立をはたしました。
これがソ連邦崩壊の第1歩となり、エリツィンロシア初代大統領らの主導により199112月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのスラブ系3共和国が「独立国家共同体」(CIS)を創設、まもなくカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、モルドバ、アルメニア、アゼルバイジャン、トルクメニスタンの8か国が加わり、1993年グルジアも加盟し、バルト3国を除く旧ソ連の12の共和国が、EU(ヨーロッパ連合)型のゆるやかな国家連合体を形成しています。(その後トルクメニスタンは永世中立国を宣言したため準加盟国)


[その後の旧ソビエト連邦] バルト3国は、2004年にそろってEU(ヨーロッパ連合)NATO(北大西洋条約機構)に加盟しました。2007年には通貨もユーロとなりました。ソ連の崩壊を契機に誕生したCISの本部は、ベラルーシの首都ミンスクにおいていますが、中心は世界一の領土をもつロシア連邦で、旧ソ連がもっていた国際的な権利を基本的に継承しているのをはじめ、軍事施設や核やミサイルなどの軍事関連を一括管理しています。
なお、現在ロシア共和国は、ブラジル、インド、中国と並んで「BRICs」(ブリックス)とよばれる新興経済国群の一角にあげられています。

投稿日:2007年05月08日(火) 09:13

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)