前回(4/9号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第14巻「東南アジア(1)」の巻末解説を記します。
「東南アジア(1)」 について
インドシナ半島には、北方のヒマラヤ山脈からまるで指をひろげたように、いくつかの山系が南下しています。その山と山の間の険しい谷間を、イラワジ、サルウィン、メナム、メコン、ソンコイなどの大きな川が流れ、下流に広大なデルタ地帯を作っています。そのデルタに住みつき、米づくりをはじめた人々が、この半島の祖先です。
ラオスをのぞき、*[ビルマのラングーン]、タイのバンコク、カンボジアのプノンペン、ベトナムのハノイ、これらは、みんな大河下流のデルタに開かれた都市です。
*[1989年、軍事政権は国名を「ミャンマー」に改めました。軍政を支持した日本政府はいち早く承認し、日本語の呼称も「ミャンマー」としています。しかし、軍政を認めないアメリカ、イギリス、オーストラリアなどは、今も「ビルマ」としています。EUでは、「ビルマ」「ミャンマー」を併記しています。ラングーンは、「ヤンゴン」に改称、2005年には首都を「ピンマナ」に移転しています。また「イラワジ川」は「エーヤワディー川」と呼ぶことが多くなりました]
5か国とも米作中心の農業国です。米の他に、トウモロコシ、イモ、トウガラシなどを作り常食としています。
温度と湿度が高いので、植物は勢いよく繁茂し、ベトナムでは米の二期作もおこなわれています。赤道の北側にあるため、雨は5月〜10月にかけて集中的に降り、南側の雨季とは時期的に、ちょうど反対になります。
この地域はインドシナという名が示すように、インドと中国が出会い、行き交う場所でした。根強く幅広い仏教信仰は、インドの強い影響をうけています。この仏教を離れてインドシナ諸国を語ることはできません。
インドシナ民族の精神のよりどころとなっている仏教は、日本の仏教とは違った、戒律のきびしい小乗仏教です。僧は生産活動にはいっさいかかわらず、ひたすら徳を積むことに専念します。おびただしい数の僧の生活を支えているのが一般民衆です。民衆にかわって修業に専念し功徳を積んでくれる僧は聖なる存在なのです。来世を信じ、ひたすら僧や寺院のために私財をつぎこみ、物を持つことに固執しないのが土着の人々の生き方です。華僑や印僑がインドシナの経済をにぎり、財を成していった歴史は、こうした仏教信仰とも無関係ではありません。
19世紀、緑あふれるのどかな国々をゆさぶったのは、西欧の列強国でした。イギリス、フランスに植民地化されて以来、本当の独立を勝ち得る20世紀の今日まで、インドシナには戦争がたえませんでした。その戦乱ゆえに、この地域は、死の十字路とさえいわれました。東西の接点であり、まさに世界の十字路として重要な位置にあります。ここを掌中におさめようとする強大国アメリカがインドシナにくすぶる火をあおり、大きな戦争へと駆りたてていったのがベトナム戦争です。同じ民族同士が、長いあいだ戦い、インドシナの山河は荒廃し尽しました。あらゆる技術が結集されてつくりだされた残酷きわまりない爆弾が、毎日毎日、ベトナムの森に、畑に、道に、人家に雨のように降りました。兵士のみならず、弱い老人や子どもや母親たちまでが、たくさん殺されました。いつ果てるともなく、永遠に続くかのように戦争は広がっていきました。
子どもよ、大きくならないで
おまえが大きくなると
戦争に行って
きっと死んでしまうだろう
子どもよ、
どうかこのまま
このままでいておくれ
ベトナムの母親たちのあいだで歌いつがれた子守歌です。戦争の中で生まれ育っていく我が子を、勇敢な戦士として戦場に送り出したいと思う反面、少しでも戦火から遠ざけたいという母親の切なる祈りがこめられています。これは、世界じゅうの母親の願いでもあります。戦禍で荒れ果てた大地に、小さな緑が芽ぶきはじめたように、インドシナの国々は、今やっと一人立ちをはじめたところです。世界の先進諸国は、若い芽の成長をじっと見守り、あらゆる援助を惜しんではならないでしょう。