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多磨霊園めぐり

1ヶ月ほど前、書店で「東京さわやか散歩」(山と渓谷社刊) というガイドブックを立ち読みしているうち、41コースのうちの36番目、武蔵野の川と雑木林の自然に親しむ「野川公園から浅間山公園」のところに目がうつりました。以前の住居が三鷹市深大寺だったために、野川公園や武蔵野公園には、休日によく散歩したものでした。所要時間2時間30分というこのコースは、西武多摩川線「多磨駅」からスタートし、近藤勇の生家跡、野川公園、武蔵野公園を通り、多磨霊園から浅間山公園をめぐって「多磨駅」にもどるという、かなりよくばった行程になっています。4ページにわたり地図と写真を15枚ほどちりばめて簡潔に解説した、よくできたガイドブックだなと思いました。特に目を引いたのが、「有名人の墓をめぐる」というコラムで、多磨霊園には菊池寛、北原白秋、三島由紀夫、与謝野鉄幹・晶子、吉川英治、梅原龍三郎、山本五十六、朝永振一郎らたくさんの有名人の墓があること、そして、管理事務所で案内図を求めることができるとありました。さっそくこのガイドブックを買い求め、桜の季節にでも訪ねてみようと思っていました。多磨霊園へは、亡き妻の先祖の墓があるため、すでに10回以上も墓参したことがあり、ゆったりとした、公園のような美しい墓地のことはよく知っていました。でも、こんなにたくさんの有名人のお墓があるとは思ってもみませんでした。

先週の日曜日、急に思い立って訪ねてみることにしました。管理事務所で、B3二つ折りの平面図(著名人150人の墓所付)を50円で買い求め、さっそく地図と住所? (26の区域に番号で整理されている) を照らし合わせながら、見てまわりました。なにしろ39万坪という広さ、墓地の数7万以上の中から探しだすのですから、1つのお墓をみつけるのも容易ではありません。
川合玉堂、徳川夢声、中村歌右衛門、舟橋聖一、小泉信三、新渡戸稲造、山本五十六、東郷平八郎、有島武郎と訪ねるうち、全域をまわるのはとても無理、今回は4分の1だけにしようと決めました。ちょうど桜は満開、中央にある500メートルほどもつづく桜並木は見事なもので、暖かい散歩日和にもめぐまれて、大満足の半日でした。
たくさん見たお墓のうちで、最も感銘深かったのは、岡本一平、岡本かの子、岡本太郎のお墓です。まだ、岡本太郎が健在だったころ、偶然このお墓に出会ったことがありました。岡本太郎がこしらえたという父親一平の墓は、例の太陽の塔を小型にしたような、おっぱいが水入れになっている像を見て、妻とふきだしたことを思い出しました。岡本太郎の新しい墓は、両親の墓と向かい合い、子どものあどけない顔をした像が、いかにも太郎の作品らしく必見です。墓の真ん中に、川端康成の文「岡本一平、かの子、太郎は、私にはなつかしい家族であるが、また日本では全くたぐい稀な家族であった。私は三人をひとりびとりとして尊敬した以上に、三人を一つの家族として尊敬した。この家族のありように私はしばしば感動し、時には讃仰した。一平氏はかの子氏を聖観音とも見たか、そうするとこの一家は聖家族でもあろうか。あるいはそうであろうと私は思っている。家族というもの、夫婦親子という結びつきの生きようについて考える時、私はいつも必ず岡本一家を一つの手本として、一方に置く。……」という石碑は、心打つものがありました。
もうひとつ、小さな山を盛り上げたような北原白秋の墓も印象深いものでした。
なお、三島由紀夫はペンネームで、平岡家の墓となっていますので注意が必要です。

投稿日:2007年04月10日(火) 09:33

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)