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山崎章郎先生に大拍手

先日、「さくら会」主催の講演会へ出かけました。山崎章郎先生による「ケアタウン小平について」という演題でした。「さくら会」 というのは、小金井市にある桜町病院ホスピスで亡くなった人の配偶者や家族の会です。1990年に「病院で死ぬということ」(主婦の友社刊・現文春文庫)を著して話題の人となった山崎章郎先生が、聖ヨハネ会桜町病院に乞われて付属のホスピス科の責任者となり、日本を代表する理想的なホスピスに作り上げたことで有名ですが、「さくら会」はこのホスピスで亡くなった人の遺族のケアを目的に、山崎先生の提案で始まったと聞いています。

2年半ほど前に肺がんで亡くなった私の妻は、山崎先生じきじきに、自宅で何回か往診を受けた後、桜町病院のホスピスで90日間お世話になりました。在宅で終わりたいとこだわっていた妻が、2、3日の検査入院のつもりで20床あるホスピスにきたところ、リゾートホテルのようなすばらしい環境と、山崎先生他3名の医師、20名の看護師、100名を越えるボランティアの人たちの見事な対応と連携のよさに感動し、ここで最期を送りたいと前言を取り消したほどでした。そして、残り半月程度とあきらめていたのが、ホスピスでお世話になってから急に元気になり、充実した3か月が送れたことを今も深く感謝しています。

ひょうひょうとして、少しも偉ぶらない人柄、ご自身の描いた夢や願いにむかって着実に歩まれる山崎先生が、一昨年、桜町病院ホスピスを離れ、新たな計画に取り組んでおられることは、小耳にはさんでいました。ホスピスが末期がん患者に限定されてしまうことへの懸念、他の病気であってもホスピスケアを求めたい、ガンになっても苦痛なく住み慣れた自宅にいたい、病気や障害をかかえながらも一人で生きたいといった人々の役に立ちたいといった使命感に燃えて、桜町病院ホスピス科長というイスを後継者に譲り、より困難な道を選んではじめられたのが「ケアタウン小平」だということでした。さまざまな方々の支援はあったとしても、クリニック、訪問看護ステーション、デイサービスセンター、ひとり暮らしの方のためのアパート(いっぷく荘)などの施設をこしらえ、新たな目標に向かって突き進む姿勢に敬意を表します。

「いじめによる自殺する子どもを地域社会から出さないようにしたいという願いもありまして、末期ガンの人たちへ心のケアをしてきた体験を生かすことができないかと、子育て支援事業も活動のひとつにとり入れています」とたんたと語る先生の、内に秘めた情熱がなんとも頼もしく思えたものでした。

投稿日:2007年04月13日(金) 09:25

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)