先にお知らせしました通り、4月20日からプライベートで阪急交通社が主催する 「クロアチア・スロベニア・ボスニア ヘルツェゴビナ・モンテネグロ」(旧ユーゴスラビア4か国) をめぐる10日間の旅を体験してまいりました。
旧ユーゴスラビアといえば、ユーゴスラビアをまとめてきたチトー大統領が1980年に亡くなって以来、特に1990年代から今世紀初めまで、民族・国家・宗教のちがいによる内戦のため、国土が荒廃したことで有名です。そのため、そんな危険な国々へどうして行くのかといった声もありましたが、ちょうど1年前に旅行した「オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリーなど中央ヨーロッパ5か国」の添乗員が「イタリア人が『神様は不公平だ。アドリア海を挟んだ向こう側には、あんなにきれいな景色を造って』と、うらやましがられた自然は必見」という言葉と、旧ユーゴスラビアが位置するバルカン半島は民族や宗教の交叉する地域だったために、第1次世界大戦勃発の原因となるなど「ヨーロッパの火薬庫」といわれ、特に20数万人の死者と200万人もの避難民を生み出し、2つの世界大戦後ヨーロッパ最悪の紛争後の実情を見てみたいという好奇心からの選択でした。
第2次世界大戦中に、チトーは「諸民族の友愛と団結」をスローガンに掲げ「パルチザン部隊」を結成して、ドイツに占領されていた地を一つの国にまとめあげました。そして出来た6つの共和国からなる連邦国家「ユーゴスラビア」は、世界から次のようにいわれました。1つの国、2つの文字(ラテン文字・キリル文字)、3つの宗教(セルビア正教41%・カトリック32%・イスラム教12%)、4つの公用語(セルビア語・クロアチア語・スロベニア語・マケドニア語)、5つの民族(セルビア人42%、クロアチア人23%、スロベニア人9%、マケドニア人6%、モンテネグロ人3%)、6つの共和国(スロベニア・クロアチア・ボスニア ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、セルビア、マケドニア)、7つの国境(イタリア・オーストリア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア・ギリシア)……こんな複雑な国をどうやってまとめるのだ──と。
しかしチトーは、社会主義の国でありながら、非同盟中立という立場をとって、社会主義の国ばかりでなく資本主義国とも手をつないでいくという独自の方針を貫き通し、87歳で亡くなるまで国を一つにまとめあげたのでした。そして、ヨーロッパやアジアの中立国が、アメリカやソ連に対抗する「第三勢力」として団結していくことの大切さを訴え続けていたことでも知られています。
内戦は不幸でしたが、今回訪問した国々を見る限り、どこの町の人々もその苦難を乗り越えた自信のようなものが感じられて、ほっとしました。特に、いち早くユーロに加盟したスロベニアや、これから大観光国を予感させるクロアチアには、もう一度訪問したいと思うほどでした。
私の印象深かった「ベスト5」は次の通りです。●内戦を乗り越えたアドリア海の真珠「ドブロブニク」とその城壁めぐり ●絵はがきのように美しいアルプスの瞳「ブレッド湖」 ●20km以上も続くというヨーロッパ最大の鍾乳洞「ポストニア鍾乳洞」 ●エメラルドグリーンの16の湖と96の滝が織りなすプリトビッツェ湖群国立公園 ●激戦の傷跡生々しいものの立派に復興した石橋の町「モスタル」
なお、今回の旅も昨年同様、兄夫妻と同行いたしました。このブログにリンクしています「十(とお)一(はじめ)こと酒井猛夫のブログ」では、2、3週間かけて、旅行の詳細をたくさんの写真とともに記述するはずです。興味のある方はぜひのぞいてみてください。