前回(3/15号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻) 第5巻「イギリス」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。
「イギリス」 について
ヨーロッパの西北部、大西洋に浮かぶ小さな島国イギリスの正式国名は、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国といいます。面積は24.5万平方kmですから日本の方が1.5倍ほど広いことになります。そこに*[約5600万人]の人がくらしています。
*[2005年現在5970万人]
イギリスは、すでに13世紀に世界の君主政治の手本となっている議会政治の基礎をつくりました。専政君主制をやめて、国民の代表が話しあいによって政治をおこない、その代表は一定の期間ごとに選挙によってえらばれるという政治です。こうした進歩性が産業の発展にもあらわれ、長い間、世界の国々の先頭に立ってきました。
18世紀の後半、イギリスに産業革命がおこりました。これまでの手工業に、新しく発明された機械がとってかわったのです。イギリスはすでに、スペインやオランダとの争いに勝ち、植民地をたくさんもっていたため、機械技術のすばらしい発展と共に、みるみるうちに領土を広げ、世界中の陸地の1/4を支配するまでになりました。「イギリスに太陽は沈まない」といわれたのはこの頃のことです。
ところが20世紀になると、ドイツ、フランス、アメリカや日本が力をつけはじめ、世界の富をひとり占めにするわけにはいかなくなりました。第1次世界大戦はいわば、イギリスやフランスの古い資本主義と、ドイツなどの新しくおこした資本主義との争いともいえるものでした。イギリスは連合国の中心となってドイツをやぶりましたが、戦後にはげしい恐慌におそわれました。さらに、植民地だったカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが次々に独立し、アメリカや日本などと対抗するのにやっとという状態になってしまったのです。
第 2次世界大戦もまた、イギリスの人びとに苦しみを与え、戦争は勝利におわったものの、復興に手間どりました。おまけに、アジアやアフリカの植民地の人びとがもうこれ以上イギリスの支配にがまんできないと立ちあがり、インド、パキスタン、ビルマ、セイロンなどが相ついで独立しました。
アメリカ合衆国やソ連の力が強まり、その後フランスや西ドイツを中心とするEC諸国の力も強まったため、かつての大国イギリスも、これまでの生き方を大きく変えねばならなくなりました。1973年にヨーロッパ共同体(EC)に加入し、西欧諸国と連帯しながら経済発展に力を入れつつあるのもそのあらわれです。
イギリス人の生活は保守的だといわれています。朝食の献立から、起床時間、出勤時間など毎週同じスケジュールがくりかえされます。紳士の服装も100年前とほとんど変りません。しかし、保守に固まっているかにみえる反面、新局面を開かなくてはならない時には、時代を先どりし、ダイナミックな前進をみせるのもイギリス人です。
「ゆりかごから墓場まで」 といわれる完備した福祉国家の建設、ミニスカートやビートルズに代表されるポップスなどの生活文化革命、イギリス初の女性党首サッチャーなど、その例はいくつもあります。「ジョンブル」(ブルドッグ) といわれるように、一度かみついたらちょっとやそっとでは離さない不屈の精神の復活も間近いことでしょう。
隣りの国アイルランドは、「みどりの国」と呼ばれるように、樹木がよく茂り、酪農と水産業がさかんな国です。イギリス人とは、人種も、生活習慣もちがい、宗教も違います(イギリスの英国教会に対し、アイルランドはカトリック)。18世紀から、イギリスの支配からのがれようと独立運動をはじめ、1949年、長く苦しい運動の末に独立をかちとりました。
補足事項
イギリスがEC(ヨーロッパ共同体)に加入したのは1973年、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとして指導的役割をになっています。ただし他のメンバーの通貨が、2002年にユーロに完全に切り替わったのに対し、イギリスの通貨はポンドのままです。