前回(3/8号)に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻)第3巻「イタリア」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項を記します。
「イタリア」 について
大統領を元首とするイタリア共和国は、明るい陽気な国だといわれています。しかし、つぶさに見ると、複雑な問題を数多くかかえている国です。
まず第一には、1861年にイタリア国家が誕生して1世紀以上を経ているにもかかわらず、近代国家としては、やや立ちおくれてきたことが指摘されます。
そのもっとも大きな原因は、鉄、石炭、石油などの資源の不足です。資源の不足が工業の発達を阻害し、国の近代化への歩みをおくらせたのです。
ローマ帝国の栄光は、歴史のなかで、そして現在も、さん然と輝いています。ルネッサンスの火をつけた芸術も、世界に冠たるものをもっています。そして、この古代と中世の偉大な遺産が、芸術と観光の国イタリアを生みました。しかし、その陰には、国際連合をはじめ多くの国際機構に参加している近代国家としての、深刻な悩みがかくされています。
つぎに、太陽と歌とマカロニの国などと、はなやかさがうたい文句にされながら、貧しい人々が少なくないことも、大きな問題です。
第 2次世界大戦後、北部は、国の政策によって工業が発達しました。しかし、南部は立ちおくれたままです。南部は、農業が主産業でありながら、土地はやせています。したがって、南部の人々は、観光にすがるよりしかたがないという、一面をもっています。
政府は、南イタリア開発資金を設立するなどして、南部の発展に力を入れてきました。しかし、南部では、いまだに荷物を運ぶロバと、はだしの子どもの姿を見ることは、決してめずらしいことではなく、人々の生活の貧しさは解消されていません。豊かさと貧しさで、北部の人々と南部の人々は感情的に対立しており、この南北格差の問題は、イタリア国民をひとつにまとめていくうえにも、早急な解決が迫られています。
イタリアは、ローマ・カトリック教を国教とし、国民の97%がカトリック信者です。イタリア人は、洗礼も、結婚式も、葬儀も、すべて教会にゆだねます。カトリック教は、イタリア人の心と生活のなかに完全にとけこんでいるのです。まさにイタリアはカトリックの国です。
ローマ市の一部に、ローマ・カトリック教の総本山として、独立小国家のバチカン市国が存在し、イタリアの人々が、その存在を誇りとしていることでも、それがわかります。イタリアは、太陽の国や芸術の国である以前に、まずなによりもカトリックの国だということを、はっきり認識しておくことがたいせつなようです。
しかし、世界のカトリックの中心地であるという自負と、神を信じて貧しくてもという信仰心が、国の近代化をおくらせたひとつの要因になったともいわれています。
*[イタリアの政権をにぎっているのはキリスト教民主党、そして第2党としての勢力をもっているのは共産党です。ところが、この共産党の組織は、西ヨーロッパ諸国のなかでもっとも大きいといわれながら、国内では、はげしい労働闘争はほとんど行なわれていません。共産主義者ももちろんカトリック信者であり、その信仰心が、比較的静かな共産党にしてしまっているのです。これも、イタリア国家とイタリア人を考えるとき、カトリックをぬきにしてあり得ないことの、ひとつのあらわれでしょう。]
なお、イタリア領土内には、バチカン市国のほかに、もうひとつ、独立小国のサンマリノ共和国があります。4世紀に誕生した小都市の国家です。中世の約1000年の間、この長ぐつ半島に都市国家が乱立していたことを知ることも、イタリアの歴史を語るには必要なことのようです。
補足事項
*[1991年に共産党は消滅して左翼民主党に、キリスト教民主党は1994年に分裂し、多くはマリゲリータ党に参加。現在は、両党が2大政党になっています。]
EC(ヨーロッパ共同体)の創立メンバーの1国であるイタリアは、1993年にEU(ヨーロッパ連合)になってからも、中心メンバーとなっています。通貨も、2002年にリラからユーロに完全に切り替わりました。