児童英語・図書出版社 創業者のこだわりブログ Top >  子どもワールド図書館 >  ワールド図書館(2) 「ドイツ」 巻末解説

ワールド図書館(2) 「ドイツ」 巻末解説

昨日に続き、25年ほど前に初版を刊行した「子どもワールド図書館」(38巻)第2巻「ドイツ」の巻末解説と、その後の変化を記した補足事項(2/15号と重複)を記します。


「ドイツ」 について

緑ふかい森や湖、ブドウ畑や古城をめぐって流れる川、牧歌的な田園、中世の面影をのこす都市。
この美しい国、ドイツを訪れる人々が、最も驚かされるのはドイツの多様性です。ドイツは、ヨーロッパのまんなかの位置にあり、いろいろな国と隣り合っているため、昔から西方のロマン族、アングロサクソン族と、東方のスラブ族との交通がしきりに行なわれていました。したがって、海洋的なものと大陸的なものの影響や、こみいった山地と広い平野、気候、人種、気質など、いろいろな要素がまじり合って、この国の文化と経済を実らせてきました。しかし、かえって、こういう位置が、まわりの国々との関係を複雑にして、不幸な戦争をくり返す結果になったのかもしれません。
この国に住むドイツ人は、だいたいゲルマン人とよばれる人たちで、考え方や行動は合理的で正確、生活面でも清潔ずきで、まじめによく働きます。また、団結心が強く、規則や秩序を愛する傾向が強いようです。
ドイツの地形は、北部の低地と、中部の山地、南部の高原とに大きく分けられます。北部の低地は北ドイツ平野とよばれて、ドイツ全土のおよそ半分をしめています。ここは昔、大氷河におおわれていた地帯で、地質もやせ、砂地が多いところですが、今では科学技術の力を活用して、混合農業が行なわれているところです。ベルリン、ハンブルクなど、近代産業とともに発達した都市もあります。中部の山岳地帯は、森林におおわれた高原や丘陵が、渓谷や盆地をかこみ、南部地帯には、バイエルン高原やアルペンの世界があります。中部や南部の町は歴史が古く、ドレスデン、ライプチヒ、ケルン、ミュンヘンなどの大都市をはじめ、周辺の町にも、美しい風景や歴史のあとがみられます。北部と南部の人々の気性もかなり違っていて、几帳面な北ドイツの人にくらべて、南ドイツの人は、陽気でさっぱりしています。
このように、南部が高くて北部が低い地形のため、多くの川が南から北へ流れ、海にそそいでいます。ドイツは海岸線が少ないかわりに、昔からの交通路である河川が、動脈のように流れていて、人々の生活に密接なつながりをもってきました。とくに、ドイツ民族の川ともよばれるライン川は、国際的に重要な交通路であり、その下流のルール工業地帯は、ドイツ産業の中心となっています。また、このライン地方は、気候も暖かく、ドイツで最も明るいところです。
ドイツの歴史ほど、地方分権の分立状態が長く続いた国もないでしょう。19世紀後半にドイツが統一されるまで、それぞれの君主や自治組織のもとで、城や教会をきずき、独自の文化を実らせてきました。ドイツが多様性にとみ、歴史的遺産が豊かであることもうなずけます。ドイツの気候は、日本にくらべて、夏は涼しく、冬はかなり寒く、暗くどんよりした日が長く続きます。このような自然が、ドイツ人をきたえて強い民族とし、重厚な文学や深遠な哲学、それにすばらしい音楽や、すぐれた科学などを生んだともいえるでしょう。
第1次、第2次世界大戦という苦難を体験したドイツ人は、戦後いちはやく立ち直って、今はめざましい復興ぶりをみせています。またたく間に世界一流の工業国にのし上がる一方、東ドイツも東ヨーロッパ第一の経済力をほこる国に発展しました。
しかし、現在もなおドイツは、東と西に分けられて、冷たいにらみ合いを続けています。いったい、いつになったらドイツが平和な国として統一されるのでしょうか。世界平和にもつながる東西統一を、いちばん強く願っているのは、もちろんドイツ国民自身に違いありません。

補足事項
ドイツは、第2次世界大戦敗戦の後、戦勝国によって東西ドイツに分割統治され、国家分断の道を歩んできましたが、1990年10月3日統一を回復しました。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の戦勝4か国は、ドイツに対してもっていたさまざまな権利を10月3日以降放棄して、統一ドイツは完全な主権をもった国家として国際社会に復帰したのです。
ドイツの統一(ドイツ連邦共和国)は、一連のソ連・東欧改革の結果として実現したものです。1985年に登場したソ連のゴルバチョフ政権のペレストロイカがもたらした最大の成果といわれています。発端は、ゴルバチョフ体制が西側への対決姿勢をあらためたことでした。これに西側世界が呼応し、軍縮などの共同作業をつうじて、東西間の信頼関係がしだいに作られたのです。一方で、自由化をソ連にこばまれてきた東欧市民が、ソ連の変化をとらえていっせいに自立と民主化へ動きだしました。そして、1989年11月、「ベルリンの壁」 が崩壊すると、ドイツ統一の機運が急激に高まり、通貨の統合、ソ連の統一ドイツNATO帰属承認とつづきました。こうして、だれも予想できなかった速さでドイツの統一が実現したのです。統一ドイツの首都はベルリンに決定しました。
ドイツの統一によって、第2次世界大戦後からつづいた欧州の戦後秩序 (欧州の分断)が終わり、欧州は対決から統合へ、新しい時代をむかえました。人口・GDPともに欧州ではとびぬけてトップとなった新生ドイツに、EU加盟諸国ばかりでなく、自由主義経済への転換をはかる東欧諸国からも大きな期待がよせられています。しかし、一方で、2つの世界大戦をひきおこしたドイツの過去の歴史にまゆをひそめる人たちがたくさんいることも事実です。統一があまりにも急であったために、ドイツ経済の混乱はいまだにつづいています。大量失業などの難題をかかえながら、ドイツが今後どのような歩みをみせるか、世界中が注目しています。
通貨は、2002年にドイツマルクからユーロに完全に替わりました。

投稿日:2007年03月08日(木) 09:32

 <  前の記事 ワールド図書館(1) 「フランス」巻末解説  |  トップページ  |  次の記事 ゴシックって野蛮人、テディベア他  > 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://mt.izumishobo.co.jp/mt-tb.cgi/435

         

2014年08月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

月別アーカイブ

 

Mobile

児童英語・図書出版社 社長のこだわりプログmobile ver. http://mt.izumishobo.co.jp/plugins/Mobile/mtm.cgi?b=6

プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)