これまで7回にわたり、「ダメな子」「良い子」の育て方を併記して綴ってきましたが、先日、ある知り合いから「○印の良い子の方はいいけど、●印の悪い子の方は、読んでいて気分がよくないからやめた方がいい」というアドバイスをもらいました。そこで、毎日読んでくれている他の人にも意見を聞いてみることにしました。「面白く読んでるよ。良い子ばかりじゃ、当たり前のしつけ論になってそれこそ面白くない」「はじめて読んだ人はとまどうかもしれないから、併記しているねらいを簡潔にコメントしたら」など、さまざまでした。
こういう逆説的なしつけ論は、ドイツのザルツマンの著書をもとに1955年に村井実という方が「かにの本」(子どものしつけ) として牧書店という出版社から刊行したものが有名です。教育界に大きな反響をよびましたが、その後絶版。後に「かにの本・子どもを悪くする手引き」として、あすなろ書房から復刻しているようです。この連載は、この本をヒントに「月刊日本読書クラブ」に掲載したものを、加筆、訂正したものです。
必ずしも、否定的な意見ばかりではないようなので、もうしばらくこのままの形で連載をつづけてみようと思います。
「ダメな子」「良い子」の育てかた 8
● 親を信用しない子に育てたいなら
こんど連れて行ってあげる、こんど買ってあげる、などと約束したことを平気で破ることです。子どもに何か問われたとき、いつもいいかげんに答えます。ときどき、からかい半分、おもしろ半分に、子どもをだましてみせます。子どもの前で、父親と母親で無責任な会話をしてみせます。妻が夫をだましたり信用しない姿、夫が妻をだましたり妻を信用しない姿を、子どもに見せてあげます。子どもは「うちの親のいうことなんか、当てになるものか」と思うようになり、人にうそをついても、痛みを感じないような子にもなってくれます。また、本気で親に相談しない子にもなってくれます。
○ 道草をして帰ってくる子
子どもが学校からの帰り道や、お使いの帰り道に、道草をしてくることがあります。すると、ほとんどの子の親は叱ります。帰りが遅いことへの心配のあまりなのでしょうが、頭ごなしに叱るのはどうしたものでしょう。常習的、無軌道的な道草なら問題はあるとしても、時折の道草なら、小さな冒険を楽しんだものが少なくないからです。子どもは決められた行動のなかでよりも自由な行動のなかでのほうが、創造性をふくらませるものです。時間を気にしながらも、追ってきた野良ネコと戯れ、そのネコへの愛情を心に残して帰ってきたとしたらどうでしょう。道草によって、なにかを得たはずです。