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「レディバード図書館」刊行のキッカケ

私が、「いずみ書房」という出版社をはじめる端緒となったのは、英国レディバード社の刊行するコンパクト版の絵本シリーズ「レディバードブックス」との出会いからだった。このことは、5月30日にブログを開始した当初数回にわたり詳述してきたので省略するが、会社をはじめてからも、レディバード社の刊行するシリーズはいつも気になる存在で、ユニークな新刊を入手するたびに、いつかこのシリーズの翻訳権を獲得して、日本語版を刊行したいと考えていた。その願いが、思わぬことがキッカケになって、実現できることになった。このあたりの事情を何回かに分けて綴ってみる。

当社の草創期に、最大の卸先だったJ・チェーンが倒産したため、2千万円を超える不渡りをこうむった話を書いた。この時の大苦戦物語に多くの方から「よく乗り切りましたネ」といわれるが、振り返って考えると、若さとみなぎる情熱があったからこそ、あの苦難を乗り越えられたものと今さらながらに思う。最終的には、なけなしの土地を1000万円で売り払うことで決着し、その後のフランチャイズ販売組織を立ち上げることができた。そして、いずみ文庫(童話図書館科学図書館・ワールド図書館伝記図書館)と、「みんなのおんがくかい」という5大シリーズを刊行し、全国販売組織の基盤を築くことができた。そして、これに続くシリーズが1985年に発売した「レディバード図書館」(27巻・別巻8)であった。

その頃の出版直販界は、厳しい風が吹きはじめており、これまで業界をリードしてきた「ブックローン」や「ほるぷ」といった大手も苦戦が続き、組織の衰えが目立ってきたころであった。当社も例外ではなく、新商品の投入にもかかわらず、前年比横ばいかダウンが続き、新たなシリーズを刊行できる資金的余裕はまったくなくなっていた。

投稿日:2005年11月30日(水) 12:56

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プロフィール

酒井 義夫(さかい よしお)
酒井 義夫(さかい よしお)

略歴
1942年 東京・足立区生まれ
1961年 東京都立白鴎高校卒
1966年 上智大学文学部新聞学科卒
1966年 社会思想社入社
1973年 独立、編集プロダクション設立
1974年 いずみ書房創業、取締役編集長
1988年 いずみ書房代表取締役社長
2013年 いずみ書房取締役会長
現在に至る

昭和41年、大学を卒業してから50年近くの年月が経った。卒業後すぐに 「社会思想社」という出版社へ入り、昭和48年に独立、翌49年に「いずみ書房」を興して40年目に入ったから、出版界に足を踏み入れて早くも半世紀になったことになる。何を好んで、こんなにも長くこの業界にい続けるのかと考えてみると、それだけ出版界が自分にとって魅力のある業界であることと、なにか魔力が出版界に存在するような気がしてならない。
それから、自分でいうのもなんだが、何もないところから独立、スタートして、生き馬の目をぬくといわれるほどの厳しい世界にあって、40年以上も生きつづけることができたこと、ここが一番スゴイことだと思う。
とにかくその30余年間には、山あり谷あり、やめようかと思ったことも2度や3度ではない。なんとかくぐりぬけてきただけでなく、ユニークな出版社群の一角を担っていると自負している。
このあたりのことを、折にふれて書きつづるのも意味のあることかもしれない。ブログというのは、少しずつ、気が向いた時に、好きなだけ書けばいいので、これは自分に合っているかなとも思う。できるかぎり、続けたいと考えている。「継続は力なり」という格言があるが、これはホントだと思う。すこしばかりヘタでも、続けていると注目されることもあるし、その蓄積は迫力さえ生み出す。(2013.8記)